上田馬之助の命日…初対面時の“喫茶店トーク”の全貌を公開

上田馬之助

「金狼の遺言 ―完全版―」上田馬之助、トシ倉森/共著 (G SPIRITS BOOK)

 12月21日は“金狼”上田馬之助さんの命日である。いまから4年まえの2011(平成23年)年12月21日、大分の病院で亡くなった。71歳だった。1996年(平成8年)3月、IWAジャパンのシリーズ巡業中に東北自動車道で交通事故にあい、頸椎損傷で胸下不随となり車イスでの生活となった。

 1940年(昭和15年)6月20日、愛知県海部郡生まれ。大相撲・追手風部屋から1961年(昭和36年)、力道山時代の日本プロレスに入門。身長190センチの大型で、日本やアメリカを股に掛けて活躍した国際派レスラー。アメリカでのリングネームはプロフェッサー・イトウ。日本プロレス崩壊後は、全日本プロレスを経由してフリーとなり、アメリカからの“逆上陸”という形で日本人レスラーとしては初の本格的なヒール=悪役に変身。髪を金髪に染めた最初の日本人レスラーでもあった。

 アントニオ猪木との“釘板デスマッチ”は、日本プロレス史に残る遺恨マッチとして語り継がれている。“狂虎”タイガー・ジェット・シンとの名コンビでは新日本プロレス、全日本プロレスの両メジャー団体で活躍した。以下は、筆者(斎藤文彦)が生まれて初めて上田さんにお会いしたときの“上田馬之助体験”(1983年=昭和58年夏)の再現である。

 “金狼”上田馬之助さんは、テレビの画面から伝わってくる大悪役のイメージよりもはるかにやさしい目をしてそこに立っていた。こちらに向かって歩いてきた上田さんの第一声は「あんたたち、なにしてんの、ここで」だった。

 “あんたたち”とはターザン山本(週刊プロレス元編集長)に変身するまえの山本隆司記者と山本さんにくっついて歩いていたぼくで、“あんたたち”と呼ばれたぼくたちは、全日本プロレスの外国人選手が宿泊していた品川のTホテルのロビーでタイガー・ジェット・シンを待ち伏せしているところだった。

 上田さんから「あんたたち、お茶でも飲まない?」と声をかけられたぼくたちは、上田さんの後ろからついていくようにしてロビーのすぐよこの喫茶店に入った。腰がだいぶ悪かったのか、上田さんは前かがみになるような姿勢でゆっくりと歩いていたけれど、それでもやっぱり見上げるばかりの大男だった。

 ぼくがとっさに山本さんに「どうしますか?」と小声でたずねると、山本さんは「よし、顔つなぎだ、顔つなぎ」と早口でつぶやいてから、ウンとうなずいた。21歳だったぼくは“顔つなぎ”というコンセプトをよくわかっていなかった。

 プロレスをやっていて、いちばん楽しかったことはなんですか――。その時点ですでにキャリア22年、43歳のベテランだった上田さんは、ぼくのシロウトっぽい問いかけに、びっくりするくらいていねいに答えてくれた。

「楽しかったこと? そうねえ、これといってあんまりないねえ。オレたちだって、殴られりゃあ痛いし、リングの上じゃあイイ格好ばかりもできない。強いていえば、お金をたくさんもらえることくらいかな。アメリカン・スタイルがどうの、日本のスタイルがどうのなんていう人たちがよくいるけど、オレにいわせれば、アホかっちゅうの。オレらレスラーが体張って、いいレスリングをやれば、お客さんは喜ぶってことよ。プロなんだから、お客に喜んでもらえないファイトしてたんじゃ通用しない」

「プロのレスラーっていうのは、技にしてもなんにしても、年月かけて、体でおぼえるもんでしょ。それを観にくるお客は高い入場料払って当然だし、オレたちレスラーはいいお金をもらわなくちゃ合わないわけよ。プロレスにアメリカも日本もないよ」

 いまでこそフリーのプロレスラーはめずらしくないが、上田さんは旧日本プロレスが消滅したあと、フリーの日本人選手の草分け的存在として国際プロレス、新日本プロレス、全日本プロレスの3団体で活躍し、その後はNOW、IWAジャパンといったインディー団体のリングにも上がった。

「オレは以前から日本に日本選手権がないのは絶対におかしいと思っていた。アメリカにはその州、その地区で認められたステーツ・チャンピオン、USチャンピオンというものがあるわけ。それが日本ではわけのわからない横文字のタイトルばっかりあって、なにかっていえばガイジンばかりにおいしい汁吸わせて。アホかっちゅうの」

「オレは日本人対日本人の対決をメインイベントに持っていけといいつづけている。高い金払って、とっかえひっかえアメリカからガイジン呼んできて……。だから、日本のプロレスはなめられちまうっちゅうの」

「日本の団体でやってるヤツらはみんな甘いっちゅうの。オレらが力道山先生に鍛えられたころは、なんでもいいから、ひとつこれだけは自分のものだというものを持てとね。いまの若い人たちはなに? 平気な顔でスープレックスだブレーンバスターだと重みもなにもありゃしない。あんなんじゃファンにだってなめられるっちゅうの」

 “喫茶店トーク”が一段落すると、上田さんは「知ってる店に行くんだけど、あんたたちも来る?」とぼくたちをお酒の席に誘ってくれた。山本さんはまた「顔つなぎ、顔つなぎ」と呪文のようにくり返した。上田さんの行きつけのお店は、東急東横線の都立大学駅のすぐそばのちいさなスナックだった。

 上田さんがその日、話してくれたいろいろなことをぼくは拙著『いとしのプロレスinアメリカ』のなかでインタビューとして書きおこし、いちばん最後に(1983年7月、品川のホテルで収録)と記した。もう32年もまえのことなのに、あの強烈な体験はきのうのことのようにも感じられる。

「日本はプロレスでも先進国。人気を保っていくには安定した地盤を築かなければ」

 上田さんが語った“これからの日本のプロレス”は過去形になってしまったかもしれないけれど、上田さんのプロレス観そのものはちっとも古くなっていないのである。

斎藤文彦

斎藤文彦

文/斎藤文彦 イラスト/おはつ

※「フミ斎藤のプロレス講座」第64回

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