ビンス・シニアの“一世一代の大バクチ”――フミ斎藤のプロレス講座別冊 WWEヒストリー第15回

「フミ斎藤のプロレス講座別冊」月~金更新 WWEヒストリー第15回


モハメド・アリ対アントニオ猪木の“格闘技世界一決定戦”のアメリカ側のプロモーターはビンス・マクマホン・シニアだった(写真はWWWFオフィシャル・プログラムの表紙)。この一戦は東京からの衛星生中継で全米150都市のアリーナ、劇場、映画館でクローズド・サーキット上映された。

モハメド・アリ対アントニオ猪木の“格闘技世界一決定戦”のアメリカ側のプロモーターはビンス・マクマホン・シニアだった(写真はWWWFオフィシャル・プログラムの表紙)。この一戦は東京からの衛星生中継で全米150都市のアリーナ、劇場、映画館でクローズド・サーキット上映された。

 それはビンス・マクマホン・シニアにとって“一世一代の大バクチ”だった。プロボクシングの現役世界ヘビー級王者とプロレスの現役世界ヘビー級王者の闘い。プロボクシングの世界チャンピオンはモハメド・アリ(当時34歳)で、プロレスの世界チャンピオンはアントニオ猪木(当時33歳)。MMA(ミックスト・マーシャルアーツ)という単語がまだ発明されていなかった時代のMMAである。

 アリは1960年にローマ・オリンピックで金メダル(ボクシング・ライトヘビー級)を獲得後、プロに転向。1964年に22歳で世界ヘビー級王者となったが、1967年にベトナム戦争への徴兵を拒否したため王座を剥奪され、それから7年後の1974年10月30日、アフリカのザイールでジョージ・フォアマンを下して(8ラウンドKO勝ち)世界王座に返り咲いた。

 アリ―フォアマン戦は“キンシャサの奇跡”としていまでも語り継がれるボクシング史に残る名勝負だった。アメリカのスポーツ・メディアは、このフォアマン戦からの5年間を現役選手としてのアリの全盛期ととらえている。

 猪木は1973年12月10日、東京でジョニー・パワーズを下しNWF世界ヘビー級王座を獲得。1975年12月に初めてマディソン・スクウェア・ガーデン定期戦のリングに登場したが(フランク・モンティにフォール勝ち)、この時点ではアメリカにおける知名度はまだ低かった。

アリ-猪木戦の日本国内のポスター(東京スポーツ新聞社版)

アリ-猪木戦の日本国内のポスター(東京スポーツ新聞社版)

 アリがプロレスラーと闘うという“現代のおとぎばなし”に飛びついたのは、61歳のビンス・シニアではなくて、その息子で30歳のヤング・エグゼクティブ、ビンス・マクマホン“ジュニア”、つまり現在のビンス・マクマホンだった。

 WWWFは、地球の裏側で実現するアリ―猪木戦のアメリカ・サイドのプロモーターとして、このイベントに巨額の資本投下を決断した。1976年3月、ニューヨークでアリと猪木がこの試合の契約書に正式調印すると、アメリカ国内ではこの“世紀の一戦”に向けての大キャンペーンがスタートした。

 新日本プロレスがアリに提示したファイトマネーは500万ドルとも600万ドルともいわれたが、WWWFはさらにその10倍の製作費をこの超大作に投じたとされる。

 少年時代からプロレスファンだったというアリは翌4月、猪木戦への“予告編”としてシカゴでケニー・ジェイ、バディ・ウルフといった中堅レスラーたちを相手にプロレスのエキシビション・マッチをおこなった。しかし、マスメディアの反応は冷ややかだった。

 ビンス・シニアは、全米150都市でアリ―猪木戦をクローズド・サーキット上映するプランを立てた。ニューヨーク、シカゴ、マイアミ、ロサンゼルスといった大都市ではプロレスのライブ興行とクローズド・サーキット上映の2本立てが計画された。

 WWWFは、シェイ・スタジアムでのライブ版のメインイベントにアンドレ・ザ・ジャイアント対“白人ヘビー級ボクサー”チャック・ウィップナーの異種格闘技戦をラインナップした。

日本武道館大会の入場チケット(1976年=昭和51年6月26日)

日本武道館大会の入場チケット(1976年=昭和51年6月26日)

 予想に反し、前売りチケットの動きは鈍かった。マスメディアもプロレスのリングでおこなわれるプロボクサー対プロレスラーの闘いに“懐疑的”だった。危機感を抱いたビンス・シニアは、“奥の手”としてブルーノ・サンマルチノにコンタクトをとった。

 スタン・ハンセンとの試合で首を骨折し、入院中だったサンマルチノに対し、マクマホン・シニアは「試合に出てくれ。会社がつぶれる」と伝えた。シェイ・スタジアムをソールドアウトにできるカードは、サンマルチノ対ハンセンの“完全決着戦”しかなかった。

 1976年6月25日(日本時間26日)、シェイ・スタジアムには3万2000人の大観衆が集まった。東京からの衛星生中継によるアリ―猪木戦の映像がスタジアムのスクリーンに映し出されたのは、午後9時50分(東海岸標準時間帯)だった。(つづく)

斎藤文彦

斎藤文彦

※この連載は月~金で毎日更新されます

文/斎藤文彦 イラスト/おはつ

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