サンマルチノとグラハムの“空白の6カ月”――フミ斎藤のプロレス講座別冊 WWEヒストリー第18回

「フミ斎藤のプロレス講座別冊」月~金更新 WWEヒストリー第18回


 ビンス・マクマホン・シニアが“スーパースター”ビリー・グラハムと“緊急ミーティング”をおこなったのは1976年10月のことだった。会談の場所は、フロリダ州フォートローダーデールのマクマホン・シニアの自宅。

まったく新しいタイプのヒール・チャンピオンとしてマディソン・スクウェア・ガーデン月例定期戦の主役となったS・B・グラハム。マイクを持っているのは若き日のビンス・マクマホン。(撮影=ジョージ・ナポリターノ)

まったく新しいタイプのヒール・チャンピオンとしてマディソン・スクウェア・ガーデン月例定期戦の主役となったS・B・グラハム。マイクを持っているのは若き日のビンス・マクマホン。(撮影=ジョージ・ナポリターノ)

 グラハムは当時、NWAエリアのフロリダ地区をサーキット中で、このミーティングをセッティングしたのはローカル団体CWF(チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ)のオーナー・プロモーターでNWA役員のエディ・グラハムだった。エディ(本名エディ・ゴーゼット)とビリーはグラハム兄弟としての設定では次男と末弟ということになっていたが、じっさいには血縁関係はなかった。

 “スーパースター”グラハムは、1970年代後半から1980年代前半にかけて出現してくる近未来のスーパースターたち、つまりこの時点ではまだ“プロレスラーの卵”だった若者たちに多大な影響を与えた。

 グラハムが北部ミネソタのAWAをサーキットしていた1974年から1975年にかけては、のちにジェシー“ザ・ボディー”ベンチュラに変身するジェームズ・ジャノスがタイダイ(絞り染め)のTシャツを着て「オレはグラハムの弟だぜ」と大ボラを吹きながらアリーナのなかをのしのし歩きまわっていたという有名なエピソードがある。

 フロリダ州タンパでは、毎週火曜夜のハウスショーのリングサイド2列めの“指定席”にグラハムとよく似たヘアスタイルの体の大きな青年がいつも座っていた。ハルク・ホーガンに変身する約3年まえのテリー・ボレアである。ホーガンは、売れないロックバンドでベース・ギターを弾いていた。

 ビンス・シニアがグラハムに提示した企画書には“1977年3月契約”と記載されていた。グラハムは「ちょっと先のはなしだな」と不思議に思ったという。

タイダイ(絞り染め)のロングタイツとド派手なコスチュームがトレードマークのグラハムだったが、いちばんのセールスポイントはその肉体だった。左側はマネジャーのグラン・ウィザード。(撮影=ジョージ・ナポリターノ)

タイダイ(絞り染め)のロングタイツとド派手なコスチュームがトレードマークのグラハムだったが、いちばんのセールスポイントはその肉体だった。左側はマネジャーのグラン・ウィザード。(撮影=ジョージ・ナポリターノ)

 グラハムのボスだったエディは「お前さんのレスリング人生で最大のチャンスだ。マクマホンの気が変わらないうちに契約書にサインしちまえ」と“弟”にアドバイスした。エディ自身も現役時代はニューヨーク・ニューヨークで活躍し、セミ・リタイア後にフロリダでプロモーターに転向した。

 ビンス・シニアとグラハムが翌年3月からの契約に合意したころ、ニューヨークのリングではよれよれのブルーノ・サンマルチノがWWWFヘビー級王者として王座防衛活動をつづけていた。

 首の故障が完治しないままシェイ・スタジアム(1976年6月25日)でのスタン・ハンセンとの因縁マッチをなんとか闘ったサンマルチノは、6週間のオフをはさんでツアー活動を再開。8月のマディソン・スクウェア・ガーデン定期戦(同8月7日)では再びハンセンと対戦し、ケージ・マッチによる両者大流血の完全決着戦を演じた。

 ハンセンのすぐあとにサンマルチノの新チャレンジャーとしてWWWFのリングにデビューしたのは、プロフットボール出身でキャリアはまだ2年の大型ルーキー、フランク・グディッシュだった。ビンス・シニアは、グディッシュにブルーザー・ブロディというリングネームを与えた。

 サンマルチノとブロディはガーデン定期戦で2度対戦し、第1戦(同9月4日)はサンマルチノの反則勝ち、テキサス・デスマッチ・ルールでおこなわれた第2戦(同10月4日)は、サンマルチノがKO勝ちを収めた。

 1980年代のアメリカと日本のレスリング・シーンのキーパーソンのひとりであり、のちに“非業の死”(1988年7月16日=プエルトリコ)をとげるブロディがWWWFのリングに上がったのは、あとにも先にもこの年の7月から12月までの6カ月間だけだった。

 サンマルチノとグラハムがようやくリング上で向かい合ったのは、ビンス・シニアのプランどおり、翌1977年の4月。大きな波が静かに動きはじめていた。(つづく)

斎藤文彦

斎藤文彦

※この連載は月~金で毎日更新されます

文/斎藤文彦 イラスト/おはつ

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