“実況ブランド”ベンチュラ&モンスーン――フミ斎藤のプロレス講座別冊 WWEヒストリー第47回

「フミ斎藤のプロレス講座別冊」月~金更新 WWEヒストリー第47回


 ジェシー・ベンチュラ&ゴリラ・モンスーンの実況・解説コンビは、1980年代のWWEが生んだ“声のブランド”だった。

ベンチュラはヒール・コメンテーターというコンセプトを発明した。

ジェシー“ザ・ボディー”ベンチュラとゴリラ・モンスーンの実況・解説コンビは、1980年代のWWEが生んだ“声のブランド”だった。ベンチュラはヒール・コメンテーターというコンセプトを発明した。(写真はWWEオフィシャル・ビデオ“ジェシー・ザ・ボディー・ベンチュラ”ジャケットより)

 プレー・バイ・プレーの実況担当がモンスーンで、カラー・コメンテーターがベンチュラ。偶然の産物なのか、それともチ密に計算された演出だったのか、漫才にたとえるとベビーフェース系のモンスーンが“ボケ”で、ヒール系のベンチュラが“突っ込み”というポジショニングになっていて、そのウイットと洞察力に富んだ独特なかけ合いが一世を風びした。

 モンスーンは1937年、ニューヨーク州ロッチェスター出身。デビュー当時は本名のジノ・マレラでリングに上がっていたが、1963年(昭和38年)、旧日本プロレスの『第5回ワールド・リーグ戦』に初来日したさいに日本のマスコミが命名した“人間台風”というニックネームをヒントに、帰国後は“満州出身”の怪奇レスラー、ゴリラ・モンスーンに変身。1960年代から1970年代後半までの約20年間、マディソン・スクウェア・ガーデン定期戦の常連として活躍した。

 WWEオーナーの座がビンス・マクマホン・シニアからビンス・マクマホン“ジュニア”にバトンタッチされた1983年、現役を引退。同年、TVショーのプロデュースを担当するようになった。もともとはニューヨークのアイザッカ大学を首席の成績で卒業したインテリで、アナウンサー転向後は牛乳ビンの底のようなぶ厚い銀縁メガネがトレードマークになった。

 ベンチュラ(旧名ジェームス・ジャノス)は1951年、ミネソタ州ミネアポリス出身。ハイスクール卒業後、海軍特殊部隊ネイビー・シールズに志願。24歳で除隊後、ホームタウンのミネアポリスでエディ・シャーキーのコーチを受け、1975年にデビューした。ジェシー“ザ・ボディー”ベンチュラというリングネームは、海軍時代の駐屯地のカリフォルニア州ベンチュラの地名をアダプトしたものだった。

 “スーパースター”ビリー・グラハムに心酔し、デビュー当時からリング・コスチュームもファイトスタイルもグラハムの完全コピーを演じた。グラハムの80年代的オマージュという点では、ベンチュラとハルク・ホーガンは鏡像関係にあったといっていい。

 アドリアン・アドニスとのコンビでAWA世界タッグ王座を獲得後(1980年7月)、翌1981年、WWEに転戦し“単品”としてボブ・バックランドのWWEヘビー級王座に挑戦。その後、新日本プロレスのリングでアントニオ猪木ともシングルマッチで対戦した(1982年4月21日=東京・蔵前国技館)。

 突然の引退はドクター・ストップという思わぬ形でやって来た。その日、ベンチュラはマディソン・スクウェア・ガーデン定期戦でホーガンと対戦する予定だったが、メディカル・チェックで心臓のすぐそばに血栓が発見され、緊急入院(1984年9月22日)。そのままあっさりと引退を表明した。10数年間にわたるステロイド服用の副作用が指摘されたが、ベンチュラはこの問題について堅く口を閉ざした。

 ベンチュラにコメンテーター転向を勧めたのは、ほかでもないビンスだった。みずからもTVショーの実況アナをつとめていたビンスは、ひそかにベンチュラとのタッグ結成を望んでいた。33歳という若さでリングを下りたベンチュラは、ひとつのキャリア・ムーブとしてアナウンサー転向を選択した。ピンク色のタキシードに身を包んだベンチュラは、相棒モンスーン・アナウンサーとともに“レッスルマニア1”の大舞台をテレビの画面のなかからシキッた。

 ベンチュラはとにかくベンチュラを演じつづけた。コメンテーター転向から2年後にはハリウッドに進出し、映画『プレデター』『バトルランナー』でアーノルド・シュワルツェネッガーと共演。地元ミネアポリスではラジオのDJとしても活躍し、ミネアポリス郊外のブルックリンセンター市長を経て、ミネソタ州知事選に当選してアメリカじゅうをアッと驚かせたのは現役引退から13年後の1997年のことだった。(つづく)

斎藤文彦

斎藤文彦

※この連載は月~金で毎日更新されます

文/斎藤文彦 イラスト/おはつ

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