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台東区・墨田区・江東区エリアが「オシャレタウン」に変貌した理由

<イースト・トーキョー化の主な流れ> 2000年…大江戸線全線開通。東東京(江戸)の要所を巡りやすくなる 2003年…問屋街の馬喰町が注目される 2004年…空き倉庫などを利用したアートやデザイン、建築の複合イベント「セントラルイースト東京(通称・CET)」が始まる。アトリエ、ギャラリー、ショップ、オフィスを誘致し、各々の支援をしながらユニークなエリアの創造を目指した(~’10年まで) 2004年…台東区に創業支援施設「台東デザイナーズビレッジ(デザビレ)」が設立 2007年…デザビレ卒業生が御徒町~蔵前を中心に店舗などを開業(以降毎年出店) 2010年…千代田区にクリエーターズビレッジ「3331 Arts Chiyoda」が設立 2010年…「徒蔵(カチクラ)」という造語が生まれる。御徒町~蔵前の間の地域のこと。デザビレの鈴木村長が『東京ウォーカー』の誌面上で初めて使用して広まった 2010年…JR東日本都市開発が「2k540 AKI-OKA ARTISAN」を開業(翌年、第2期として北側にもオープン) 2011年…デザビレを中心に「モノマチ」を開催(近隣メーカーや問屋が施設を開放。’12年5月には271店が参加)。ほかに「SPEAK EAST」などイベントの波が広がる 東京の下町が「イースト・トーキョー」になっていた2012年…東京スカイツリー完成 2013年…JR東日本都市開発が第2弾「CHABARA AKI-OKA MARCHE」を開業 2015年…日本初上陸のブルーボトルコーヒーが清澄白河に1号店をオープン 2015年…JR東日本都市開発が第3弾「B-1グランプリ食堂」(建物ではなくトレーラー、キッチンカー形式)を開業 2016年…海外初進出の「ダンデライオンチョコレート」が蔵前に1号店をオープン ― 東京の下町が「イースト・トーキョー」になっていた ―
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