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震災から5年、39人の写真家たちが撮り続けた被災地――「5年しかたっていないのに、もう終わりかい?」という思い

 今年3月は「震災から5年」。しかし、その記憶はどんどん風化していっているようだ。写真家の新藤健一さんはこう語る。 「2012年は『震災から1年』ということでマスコミの注目も増えたものの、震災3年目、4年目となっていくと、マスコミはだんだん注目しなくなりました。世間も、何となく“震災は過去のこと”といった雰囲気が出てきています。  5周年にあたって、霞が関の弁護士会館で写真展を行った(3月10日まで)のですが、写真家たちから作品を集めようとしても、どうしても2011年と2012年のものばかりになってしまう。2013年と2014年の写真が少ないんです」
震災から5年・39人の写真家たちが撮り続けた被災地

3月12日午後2時40分、福島第一原発の周辺を小型機で飛行していると、一号機の排気筒からベント作業と思われる白煙(水蒸気)を確認した。一号機建屋はこれから約1時間後の午後3時50分に爆発、世界を震撼させた=2011年3月12日、福島県双葉郡上空 (撮影:石川 梵)

他人事を撮っているんじゃない

 新藤さんは、5年にわたって継続して被災地を撮り続けてきた数少ない写真家の一人。なぜそこまでこだわり続けるのか。 「岩手県大槌町の小学校の写真を撮ったんです。津波と火災で壊滅的な被害を受け、凄惨な現場が広がっていました。それが偶然、友人の写真家である倉田耕一の母校でした。そのことを伝えると、当時彼はあまりにもショックが大きくて『撮りに行けない』と言う。  僕が撮った写真の、校舎の中から見える風景は、まさに彼の津波に襲われ、燃えた実家があった場所だったという。しばらくして倉田が落ち着いてから、自宅のあった側、つまり僕とは逆側から撮った写真も収録されています。  これだけの被害を出した災害です。みんなどこかで繋がっている。『僕らは、他人事を撮っているんじゃない』との思いを強くしました」(新藤さん) ⇒【写真】はコチラ https://nikkan-spa.jp/?attachment_id=1072243

津波と火災で被災、真っ黒に焼けただれた大槌小学校2階の教室=2011年3月31日、岩手県大槌町(撮影:新藤健一)

大槌小学校前にあった倉田さんの実家も津波と火事で消失、土台だけが残った=2011年5月3日、岩手県大槌町(撮影:倉田耕一)

5年しかたっていないのに、もう終わりかい?

 新藤さんは、同じく被災地を5年間撮り続けてきた写真家の野田雅也さんとともに、多くの写真家たちがこれまで撮りためてきた写真を一冊にまとめた(『あれから5年 3・11東日本大震災写真集』・産学社刊)。  福島第一原発の爆発1時間前、爆発を防ぐための「ベント作業」と思われる白煙をとらえた石川梵さんのスクープ写真。5年たっても墓石が山積みのまま放置されている福島県浪江町の姿を伝える野田雅也さんの写真。それらを含めた、フォトジャーナリズムの第一線で活躍する39人の写真家による作品が収録されている。 「被災地の復興はハコモノと土木事業だけは進んでいますが、被災者の生活の復興は遅れています。仮設住宅で孤独死する高齢者の方々は年々増加し、原発事故の収束も見通しがたたない。震災や原発事故の記憶を風化させてはいけないし、これからの問題も山積みのまま。僕にしてみれば『5年しかたっていないのに、もう終わりかい?』という思いです。きっとまだまだ撮り続けるんでしょう」(新藤さん)

5年間放置された墓と福島第一原発。請戸地区では、原発事故の影響で津波犠牲者の救出が出来ず、助かる命を救うことができなかった=2016年2月16日、福島県浪江町(撮影:野田雅也)

取材・文/北村土龍 写真/『あれから5年 3・11東日本大震災写真集』(産学社)より 【39人の写真家】田沼武能、細江栄公、西宮正明、森住卓、豊田直己、野田雅也、片野田斉、石川梵、桑原史成、柿木正人、江成常夫、安達洋次郎、中村征夫、熊谷正、野町和嘉、野澤亘伸、上田聡、花井尊、倉田耕一、桃井和馬、上野祥法、佐藤文則、佐々木康、芳賀日向、高橋邦典、石川文洋、Q.サカマキ、小松健一、光幸國、熊切圭介、井沢雄一郎、大石芳野、渡辺幹夫、鈴木渉、羽永太郎、芥川仁、福本敏雄、八尋伸、新藤健一
あれから5年 3・11東日本大震災写真集

第一線で活動する39人の写真家が負の遺産である東日本大震災の記録を次の世代へ引き継ぐ目的でまとめました。 「あれから5年、忘れてはならないことがある」。

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