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会話に出てくる「私はコミュ障です」は本気にしてはいけない?【コラムニスト原田まりる】

 そして“自虐ネタ”の中で、最近よく耳にするのが「自分は、コミュ障なんです」という話題である。  コミュ障というのは、コミュニケーション障害の略称だが、本来の意味ではなく、ネットスラングとして「コミュニケーションが苦手、人見知り」程度の意味で使われている。そしてこの「コミュ障」という言葉も、さまざまな目的で使用されているのだ。  昔からの知人で「すごいコミュ障なんです」と自虐している男性がいたのだが、その男性はコミュ障を自称しながらも定期的に100人規模の飲み会を開催していた。本人はコミュ障といいながらも、参加者全員に笑顔で乾杯の挨拶にくるその姿を見て、コミュニケーション強者以外の何者でもないやんけ! と反射的に指摘したくなったのだが、そもそも「コミュ障」という言葉を真に受け、コミュ障でもなんでもない彼の姿をみて批判したくなった自分が間違っているということに気がついた。  彼らからすると「自分はコミュ障」という言葉は、他人との関係を円滑にするためのとっかかりにすぎない。  自己開示が目的ではなく、会話を弾ませるためのひとつの潤滑油なのだ。もしくは、人間関係が上手くいかなかった時に自分が傷つかないようにあらかじめ張っている予防線なのである。ちなみにこのように失敗した時のためにあらかじめ自分で予防線を張るという行為は、セルフ・ハンディキャッピングという名称がある。  互いの心に響きあうような深い会話を望む人にとって、血液型や兄弟構成、コミュ障か否かという話題はダークホース。額面通りに受け取っていては肩透かしをくらい「ああ、この人とは価値観が合わないかも」と思いがちだが、合わないのは、価値観というよりも「会話の目的」そのものなのかもしれない。
原田まりる

春ですね

【プロフィール】 85年生まれ。京都市出身。コラムニスト。哲学ナビゲーター。高校時代より哲学書からさまざまな学びを得てきた。著書は、『私の体を鞭打つ言葉』(サンマーク出版)。レースクイーン、男装ユニット「風男塾」のメンバーを経て執筆業に至る。哲学、漫画、性格類型論(エニアグラム)についての執筆・講演を行う。Twitterは@HaraDA_MariRU 原田まりる オフィシャルサイト https://haradamariru.amebaownd.com/
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私の体を鞭打つ言葉

突如、現れた哲学アイドル!「原田まりるの哲学カフェ」を主催する著者が放つ、抱腹絶倒の超自伝的「哲学の教え」

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