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満月の下、裸足でインド聖山を巡礼した――小橋賢児「小さい奇跡が重なり合い。大きな奇跡を産む」

時にヌメっとする嫌な感触を味わいながらも乾いた道路でそのふれた部分をこすりながら前へと進む。 次第に夜が明けはじめ、オレンジの僧衣をまとったサドゥーや家族連れの巡礼者、路上の物乞いなどが見え始め、その数ざっと見ただけでも数百人、おそらく全体では数万人はいるのではないかという行者の数であった。最初のうちは意外と余裕と思っていた裸足での歩行も2時間くらいすぎた頃から急にガクっと足腰が重くなった。そのおかげで多くの行者に次々に追い越されるも別に急いでいる訳でもないので、一歩一歩を噛み締めるように歩いていった。時間を気にせず、足の裏から肉体の全てを一つずつ感じながら前に進む。 ⇒【画像】はコチラ https://nikkan-spa.jp/?attachment_id=1083959 物乞い 巡礼2すると自分の思考と身体の感覚だけに集中することができ、歩く瞑想というか次第にそれは素晴らしい心地よさと感覚さえも産み出す。足の裏には全ての臓器があると言われるが、まさに歩く度に全ての臓器が目を覚ますようでもあった。 今はあるかわからないが昔一部の小学校などで裸足教育をしているところがあった。 身体が出来上がる子供のうちに足の裏を刺激することで身体中の臓器を強くすることにもつながるのだろう、そういう教育をうけた人は大人になっても肝臓などの臓器が異様に強い、一緒に酒を飲んでも全く二日酔いにならないしケロッとしている。都会のコンクリートジャングルで甘やかされて育った身体より、インドの路上で育ったストリートキッズの方が断然身体が強いと思うし、ミネラルウォーター育ちで外国にいくとすぐ腹をくだしてしまう現代っ子より、ガンジス川で水浴びをしている子供の方がよっぽど生きる力は強いのではないかと思う。 インドネシアのバリ島にはグリーンスクールといって広大なジャングルの中にある究極のエコ学校があり、校舎は全て竹でできていて世界中から集まる子供達は裸足で教育を受けている。 そこで学ぶ事は自然の事だけではなく、通常の教育はもちろん、哲学、テクノロジー、サイエンス、スピリチュアルとバランスよく組み込まれており、社会で実践していけるノウハウは次世代のリーダーになれる人物を十分育てるだけの内容となっている。 現代の日本の都会では自然と触れ合ったり、ましてや日常を裸足で過ごすなんて事はなかなか難しい事ではあるが、未来の子供達のためにこの自然とテクノロジーとの付き合い方を上手く学べるような教育施設が増える事を願いたい。
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そして…かれこれ5時間くらいは歩いただろうか
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