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北インド秘境で「宇宙に住んでいる」と実感した――小橋賢児・僕が旅に出る理由【最終回】

2日間の高度順応を終えいよいよトレッキングが始まった。トレッキングコースのスタート地点へ向う約2時間のドライブの途中車内から流れてきた音楽はまさかのULTRAのようなフェス系ダンスミュージックだった… 僕:えっこういう音楽が好きなの? ガイド:大好きだよ! 僕:なんでこういう音楽を知ってるの? ガイド:今は誰もいないけどシーズンには多くの外国人が訪れるからそれで彼らから聞かせてもらって好きになった!僕はいつか世界でやってるダンスミュージックフェスにいく事が夢なんだ~! 僕:あの…僕そのダンスミュージックフェスをつくってるんだけど… ガイド:!!! 車窓から見る流れ行く壮大なラダックの景色とダンスミュージックのコンビは一見ミスマッチのようだが、みんなを一つにし、僕らのテンションを最高潮にあげたのだった。 途中、ガイドおすすめのレストランでランチをとることになった。そこはチキンビリヤニ(チキン入りのチャーハンみたいなもの)が美味しいと評判の店だったのだが、実はインドの旅の中ではほとんど肉を食べていなかったので最初は少し抵抗を感じてしまった。というのも、宗教への信仰心が強いインドにおいて、首都や観光地を除いてはほとんど肉を食べる人がいないので、自然と菜食中心になっていき、たまにノンベジの店があったとしても、どこか罪悪感が湧いてしまい率先して食べる気がしなかった。ベジタリアンの多い通常のインド人のコミュニティなら肉を食べない事に大した抵抗なくいれたのだが、いざそれしかない環境でみんなに勧められると、どうしても“我慢”するという感覚が生まれてしまう。ましてや標高3600メートルの環境化の中で、与えられた環境を拒むということに逆に違和感さえも感じてしまった。 それは間もなく日本に帰国する僕に、インドでの常識、習慣とどうつき合うかを突きつけられているようで少し悩ましくもあった。 僕:ラダックのみんなはどんな宗教を信仰をしてるの? ガイド:仏教だよ。 僕:仏教の人は肉は食べるの? ガイド:基本的には肉を好んで食べるわけではないのだけど禁じられてはいない。 仏教にも色々宗派があって、特に標高3600メートルのラダックでは雪で下界との道が半年以上も遮断され野菜はもちろん、ほとんどの食材が届かないので肉も食べないと生きていけないんだよ。 北インド秘境で「宇宙に住んでいる」と実感した――小橋賢児・僕が旅に出る理由【最終回】何度か言及しているがインドには様々な宗教が存在していて、国民のほとんどが何らかの宗教を信仰している。僕は一人の旅人としてほぼインド全体を北から南までまわったのだがその地域、宗教によってあまりにも考え方、ルールが違うし、そのどこでも自分達の信じているものが一番正しいと思っている。 このラダックでは肉を食べないと生活していけないという考えのもと肉を食し、かたや飛行機で1時間飛んだ場所では肉を食べることは悪いものとされてしまう。ではそもそも宗教を開祖し肉を禁止した環境が、ラダックのように野菜も豊富な食材もとれない場所だったらそれはありえたのかとか、考えだしたらキリがない。 世界ではマクロビオティックやベジタリアンが流行していて菜食の方が思考がクリアになるだとか霊性が高くなるとか言われるが、一方でチベット仏教のダライラマ法王の大好物はステーキだったり、ユダヤ人大殺戮をおかしたヒトラーは菜食主義者だったり正直食べものだけが思考を左右しているとは思えない。もちろん動物を殺生する事が正しいといっている訳でもないし、ベジタリアンを否定する訳でもないのだが、肉食にしろ菜食にしろ、命あるものを頂いていることに変わりないし、例えば日本には美味しい食材が豊富にあって、それらを育てる人、調理して提供する人がいる。 そこに悪意がある商売は別だが、それらを丹精込めてつくりあげる職人を前に我慢し一切口にしない生活というものは本質的なのか。菜食を義務のようにし、与えれた環境にある食材を拒み続けることが本質的なのか? 人々の住む環境で真理というものが変化していくのならそれは本当に真理なのか… これから自国へ戻り現実社会と向き合っていかなくてはならない僕にとっては旅で出会った新たな感覚や考えとどうつき合っていくかどこか悩ましくもあったのだった。 そんなふうに少し悶々としながらトレッキングはスタートしていった。
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僕とガイドだけでヒマラヤ山脈の囲む荘厳な山道を歩きはじめた
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