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“新発売”アルティメット・ウォリアー――フミ斎藤のプロレス講座別冊 WWEヒストリー第84回

 ウォリアーは、ディンゴ・ウォリアーの新リングネームでテキサス州ダラスのWCCW(ワールドクラス・チャンピオンシップ・レスリング=フリッツ・フォン・エリック代表)に転戦。ここでシングルプレーヤーに転向し、ダラス地区に約1年間在籍後、1987年6月にWWEと専属契約を交わした。WWEと契約後、ウォリアーは約3カ月間、ハウスショーで実戦トレーニングをつづけたあと、同年9月に“新人”としてTVデビューした。  アルティメット・ウォリアーというキャラクターを発案したのはビンス・マクマホンで、“アルティメット=究極”には当時、アメリカで爆発的な人気を誇っていたロード・ウォリアーズよりもワンランク上のサムシングといった意味がこめられていた。  WWEはロード・ウォリアーズのコピー版商品として、すでにザ・デモリッションなるタッグチームを“開発”していた。ハルク・ホーガンやウォリアーズよりもさらにアニメーション的な上半身の筋肉を持ったルーキーの出現は、ボディービル・マニアのビンスを狂喜させた。  “レッスルマニア4”(1988年3月27日=ニュージャージー州アトランティックシティー、トランプ・プラザ)でウォリアーはWWE世界ヘビー級王座決定トーナメントとは別ワクのシングルマッチに出場し、ハーキュリース・ヘルナンデスを一蹴した。  ホーガンと“マッチョマン”ランディ・サベージがタッグチーム、メガパワーズを結成した“サマースラム”(同8月29日=ニューヨーク、マディソン・スクウェア・ガーデン)では、ウォリアーはホンキートンク・マンをわずか28秒でフォールしてインターコンチネンタル王座を獲得。いきなり、WWEのナンバー2のポジションに昇格した。
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ホーガンとサベージとエリザベスの長編ドラマが起承転結の“承”を迎えた…
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