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“レッスルマニア6”は全14試合の超大作――フミ斎藤のプロレス講座別冊 WWEヒストリー第98回

 オープニング・マッチでは、リック・マーテルがココ・B・ウェアをボストンクラブで下した。元AWA世界ヘビー級王者マーテルは、WWEのリングでは前座のポジションしか与えられなかった。第2試合ではデモリッション(アックス&スマッシュ)がアンドレ・ザ・ジャイアント&ハクを下しWWE世界タッグ王座を奪取した。  アンドレとのコンビ、コロッサル・コネクションとしてWWE世界タッグ王座を保持したハク(本名トンガ・ウリウリ・フィフィタ)は、日本では福ノ島のシコ名で大相撲(朝日山部屋)に在籍。1975年(昭和50年)に来日し、幕下まで昇進したが、部屋騒動で廃業。1977年(昭和52年)、全日本プロレスに入門し、デビュー後にアメリカに渡った。プリンス・トンガ、キング・トンガといったリングネームを名乗ったあと、1986年にWWEと契約し、ハク(のちにキング・ハク)と改名した。  第3試合のアースクェイク対ハーキュリースのシングルマッチは、アースウェイクがアースクェイク・ドロップ=ヒップ・ドロップでフォール勝ち。  カナダのブリティッシュ・コロンビア出身のアースクェイク(本名ジョン・テンタ)も、ハクと同様、琴天太、琴天山のシコ名で大相撲(佐渡ケ嶽部屋=最高位・東幕下43枚目)に在籍。廃業後、1986年(昭和61年)、全日本プロレスに入門し、翌1987年(昭和62年)にデビュー。日本からアメリカに渡り、WWEスーパースターになった。2006年6月、膀胱ガンで死去した。享年42。  第4試合のブルータス・ビーフケーキ対“ミスター・パーフェクト”カート・ヘニングは、ビーフケーキのスリングショットで額を鉄柱にぶつけたヘニングがビーフケーキにフォール負けを喫した。ビーフケーキの“番付”はつねに三役クラスだった。  ロディ・パイパー対バッドニュース・ブラウンのシングルマッチは、両者カウントアウトのドロー。顔の半分をクツ墨で黒塗りにしてリングに上がったパイパーに対して人種差別的という批判が集中した。  ブレット・ハート&ジム・ナイドハートのハート・ファウンデーション対ボルシュビックス(ニコライ・ボルコフ&ボリス・ズーコフ)のタッグマッチは、わずか18秒のファイトタイムでブレットがズーコフをフォール。  ザ・バーバリアン対ティト・サンタナはバーバリアンがフォール勝ちした。トンガ出身のバーバリアン(本名シオネ・ヴァイラヒ)も1975年に来日し、ハクらとともに大相撲・朝日山部屋に入門。幸ノ島のシコ名で幕下まで昇進したが、部屋騒動で廃業。その後、アメリカに渡り、レッド・バスチェンのコーチを受けプロレスに転向した。  あまり役に立たないトリビアかもしれないが、“レッスルマニア6”にはバーバリアン、ハク、アースクェイクという3人の元外国人力士が出場していた。
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