エンタメ

鴻上尚史「ニコ動のコメントは『自己表現』」

 ニッポン放送で日曜日のお昼からやっているラジオで、ニワンゴ(『ニコニコ動画』)社長、杉本誠司さんをゲストにお呼びしてお話を伺いました。『ニコニコ動画』は、スタートして5年の間に、契約者が2200万人、月500円の有料契約者が160万人になっているそうです。  初めて僕が『ニコニコ動画』を見た時は、「コメント機能」に思わず唸りました。画面にいきなり、誰でもコメントを書き残せるという機能は、正直に言うと表現を生業にする者にとって衝撃でした。  僕は演劇で生計を立てている人間ですが、本番中、もし、観客の誰かが舞台に向かって「くっだらねー!」と叫んだら、どんな素敵な作品でも、その瞬間に終わることを知っています。もちろん、三十年間、演劇をやっていて、自分の舞台で、そんな声を聞いたことはありません。人伝てに、テレビで有名な俳優の主演舞台に対して、観客が「下手くそ!」と叫んだという話は聞いたことがありますが、そういう現場に出会ったことはありません。  もっとも、劇場でそんなことをやったら、発言者がその後、周りの観客や関係者から“特別な”扱いを受けるかもしれません。  が、『ニコニコ動画』で、画面に、「クソwww」とコメントしても、書いた本人には、何も起きません。ただ、そのコンテンツが打撃を受けるだけです。  と書きながら、僕は「コメント機能」を否定しているのではありません。ただ、そのシステムに衝撃を受けたのです。 ◆ニコ動のコメントという「自己表現」  新しいメディアは、いままで隠されていた物事の本質を露わにします。手紙で愛を語っていた時代に比べ、電話が発明されたからこそ、生まれた愛もあれば滅びた愛もあったということです。  実はこいつはかっこよくないんじゃないかと思っているアーティストの画像に、「ブサイク、死ね」と誰かが書き込み、そして、賛同のコメントが続き、やっぱりみんなそう思っていたのかと、大衆レベルで納得する、なんていう感覚は、『ニコニコ動画』が用意したシステムがあって初めて露わになったことです。  社長の杉本さんは、「仔猫が映っている動画に対して、みんなが『かわいい』ってコメントして、その楽しさや喜びを共有することができます」と説明してくれました。コメント機能のポジティブな側面です。  新たなメディアは、それ自体では悪でもなく、善でもない。考えてみれば当たり前のことです。 「コメント機能」の優れている所は、もっとも低いハードルで自己表現ができる、ということです。自己表現のハードルを下げたメディアが、脚光を浴びる、それは間違いのないことです。  ある水準の文章を書かなければ、活字にならなかった時代から、ブログで文章を発表できる時代になって、自己表現のハードルは下がりました。写真を一枚載せて、一行書けばブログの体裁になって、さらにハードルが下がりました。これは書く内容の質が下がったかどうかの問題ではありません。自己表現に辿り着くための困難さが減ったということです。  そして、動画に対して一言のコメントは、現在、考えられる意味で、もっともハードルの低い自己表現だと思います。それは、「2ちゃんねる」に通じる、ハードルの低さなんじゃないかと僕は思います。ひろゆき氏も関係する『ニコニコ動画』は、最も簡単に手軽にカジュアルに自己表現できることで、大衆と結びついたわけで、僕はそこに「2ちゃんねる」のひろゆき的な戦略を感じます。  コメントは自己表現ではない、と言う人がいるかもしれませんが、何かを書き込むことで、表現衝動を満足させたのなら、それは自己表現なのです。  ただし、社長の杉本氏によれば、最近は、動画に対する辛辣なコメントより、投稿された動画の感想を共有したり、感想を語りあったり、書き込みあったりする、コミュニケーションとしての「コメント機能」に主流は移っているとのことでした。  しかし、5年で2200万人ですから、さらに5年後に、いえ、3年後にインターネットの世界がどうなっているのか、まったく予想がつかない、そんな時代を僕達は生きているのだと、唸るのです。< 文/鴻上尚史> ― 週刊SPA!連載「ドン・キホーテのピアス」
ドン・キホーテ 笑う! (ドン・キホーテのピアス19)

『週刊SPA!』(扶桑社)好評連載コラムの待望の単行本化 第19弾!2018年1月2・9日合併号〜2020年5月26日号まで、全96本。
不謹慎を笑え (ドンキホーテのピアス15)

週刊SPA!の最長寿連載エッセイ

おすすめ記事