スポーツ

ショーン・マイケルズのボーイ・トーイ自我――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第128回

WWEオフィシャル・マガジン

ショーン・マイケルズが本格的にシングルプレーヤーに転向。1990年代後半のWWE の主役がスーパースターとしての“自我”にめざめたのはこのときだった。(写真は WWEオフィシャル・マガジン1992年10月号表紙より)

 ショーン・マイケルズのシングルプレーヤーとしての最初のニックネームは“ボーイ・トーイBoy Toy”だった。ボーイ・トーイを直訳すると“おもちゃの男の子”だが、アメリカ英語のスラングでは“年下の男の子”とか“若いツバメ”とか、女性主導型のセクシャルな関係をイメージさせる連語として用いられる。  1965年、アリゾナ州スコッツデール生まれのマイケルズ(本名マイケル・ヒッケンボトム)は、父親が勤務していたテキサス州サンアントニオの空軍駐屯地で少年時代を過ごし、ハイスクールを卒業後の1984年に元プロレスラーのホセ・ロザリオのコーチを受け、地元サンアントニオのインディー団体TAW(テキサス・オールスター・レスリング)でプロレスラーとしてデビューした。  ルーキー時代はロザリオのブッキングでMSWA(ミッドサウス・レスリング・アソシエーション=ルイジアナ)、NWAセントラル・ステーツ地区(カンザス&ミズーリ)をサーキット。カンザスでの修行時代にマーティー・ジャネッティと出逢ってタッグチームを結成し、1986年にAWA(ミネソタ)に転戦した。
次のページ right-delta
ふたりのために用意していたリングネームは…
1
2
3
おすすめ記事