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TVアニメ「くまみこ」はなぜ炎上したのか? 原作者も「あの発言は、酷いなあ」と苦言

最終話の「後味が悪すぎた」理由

 話を戻して、「物語の後味が悪すぎた」のは、視聴者の大半が感じたことではないだろうか。「くまみこ」のような日常もの作品が、最後の一・二話でいきなりシリアスになり、教訓めいた話になるのはよくある展開だ。  しかし、①田舎コンプレックスを抱きながらも都会に憧れ、世間知らずなりに努力し続けたまちが、②いざ都会に来てみると、執拗な被害妄想にさいなまれ、③いとこで地方公務員の良夫の非情な発言も飛び出し、④村に戻ったまちはナツとの共依存引きこもりENDという、素直に喜べない結末を迎えたのだ。  ①はこの作品の物語の土台で、田舎者のまちが、世間知らずなりに都会の文化を体験し、機械音痴を克服しようと家電や携帯に挑戦する。まちが頭をフル回転させて課題を克服しようと試み、ズレているなりに最後までやり通す、それをナツがそれとなく導いてあげ、まちは様々な経験を積み少しずつ成長していくという過程の喜怒哀楽と一生懸命さに私たちはニヤニヤしてしまう。  しかし、いざ東北アイドル自慢コンテスト出場のために仙台に向かったまちに待っていたのは②生々しい被害妄想だった。親しげに話しかけられてもまちには辛辣な言葉の幻聴が聞こえ、観衆に石を投げられる幻覚が繰り返し描写される。おどろおどろしい背景に亡霊のような人影に石を投げつけられる表現は恐ろしく、単に「田舎コンプレックスをこじらせすぎて萎縮している」よりかは病的なものを感じさせる生々しさで、ジョークにしてはやり過ぎ感が否めなかった。  最も議論を呼んだのが③いとこの良夫の非情な発言だ。もともと良夫はまちを妹や娘同然に扱い、下着姿のまちを押し倒して(!)も下劣な感情も抱かない程まちへ深い家族的愛情を持つとともに、熊出村を盛り立てるために調整・工作活動を行うしたたかさを持ち合わせている。  それでも良夫の強引さがキャラとして受け入れられていたのは、村民として暖かい心の持ち主だという前提があったからなのだが、最終話ではあくまで村のためには「まちを犠牲にしても構わない」という問題の発言が飛び出し、行き当たりばったりなのは演技で、全ては計算ずくでただただまちを利用していたのではないか?と勘ぐってしまう展開に。原作者の吉元ますめが「あの発言は、酷いなぁ」としたのも、ネット上でサイコパス呼ばわりされるほど良夫が大人の都合を優先させまちへの家族的愛情が薄い人間として描かれた点にあるのではないか。  女の子とナツの応援もあり、素晴らしいパフォーマンスをしたまちだったが、結局は被害妄想に押しつぶされ④都会への夢を諦めナツに甘やかされてエンディングを迎える。ネットショッピングを活用する姿は引きこもりを暗示させ、②被害妄想や③良夫による重圧もあって、いよいよ精神を病んでしまったのではないかと不安を感じさせアニメは終了する。
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アニメ最終話は「何が問題だったのか?」
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