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女子ホッケー“さくらジャパン”代表・永井友理、ホッケー家族の長女としてリオ五輪へ

~もぎたて!女子アスリート最前線 第18回~  女子ホッケー日本代表、通称・さくらジャパン。リオ五輪の代表メンバーが発表されたばかりだが、その一人、永井友理選手を直撃した。  家族5人みんながホッケープレーヤーという生粋のホッケー一家の長女で日本代表永井友理選手。初めて興味をもったのは、まだ小さな時で3、4歳の頃お父さんがソニーのコーチ(父親は日本代表監督・永井祐司氏)をしていた時に連れられていった女子選手権の影響だった。この競技を始めたのは、10歳の時にスポーツ少年団のチームに母親の「はいってみる?」の誘いから始まった。最初の頃は周りからの期待が大きく「嫌だな」というのが本音だった。当時は、気が弱く試合前にご飯が食べれなかったり、お腹を壊したりすることが多かった。中学に入るまではテニスとの両立だったのだが、どちらかを選択することになり、やはり親の遺伝子なのかホッケーの楽しさがテニスを勝り、本格的にこの道に。  高校2年で全日本に選ばれワールドカップに行くが、なんと母親と同じ17歳で選ばれるという快挙。当時はマスコミにも騒がれ行ったものの出場機会は2試合。しかも途中出場でわずか5分ぐらいだったため、何もできずに帰ってきたのが屈辱的だった。3年の時に高校のタイトル4冠(選抜、インターハイ、国体、チャンピオンズ)を獲ると決め選抜を勝ち、2つ目のタイトルのかかったインターハイの決勝でゴールデンゴールになってしまい、決めたら終わりという場面で、相手にペナルティーコーナー(サークル内で守備陣の反則によって得るプレー)を奪われてしまい最大のピンチに。ディフェンス人の頑張りで防ぎ、カウンターできたボールをそのままスライディングしながら決め優勝。この時にキャプテンの重圧とゴールを決めれたという達成感が今でも忘れられない思い出だそうだ。この勢いで残り2つのタイトルも獲得し見事4冠を達成したのだった。  21歳の時に長年の希望でもあった海外留学でスペインに。行く理由は家族や妹と比べられる環境が辛かったのと海外の選手と試合をすることでフィジカルの強さを身につけたかったからだ。留学しての初めての試合で点を取ったのが逆転ゴールでチームメイトが喜んで集まってくれたのが嬉しかった。しかも現地新聞の一面を飾ったのはびっくりだった。この結果で「自分でも通用するんだ」と手ごたえを感じるとともに、中学以来、「久しぶりにホッケーを楽しんでできたな」と思い返すことができた。 ⇒【写真】はコチラ https://nikkan-spa.jp/?attachment_id=1143991  昨年のオセアニアカップで出場をかけての試合でも引き分けでSO(サッカーでいうPK戦のようなものでゴールの中心から20Mから8秒以内に撃たなければならない)になってしまいSO戦メンバーに選ばれプレッシャーの中、確実にゴールを決め勝利する。既に出場権を持つニュージーランドとオーストラリアのいずれかが優勝することが決まり、繰り上げで出場権を獲得した。今年に入りいい流れで挑んだ8か国大会は2位となり、8月のオリンピックでは下馬評を裏切る活躍が期待される。
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永井選手への一問一答
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