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元ロッキング・オン編集長・増井修「編集部6人で年間3億円稼いでいた」――ロック雑誌黄金期を振り返る

毎月10万部売り、編集部6人で年間3億稼いでいた

――本書では、当時の実売部数や売上も詳密に公開されていて、その数字に驚きました。96年ごろが洋楽ロック雑誌の最盛期で「毎月10万部、編集部6人で年間3億円稼いでいた」とあります。このヒットの原因はどんなところにあると思われますか。 増井:いろいろ理由は考えられます。考えられますが、いま言ったような構造下で、他誌が抜かれて行ってほぼ寡占状態になったからこそできたことですから、そこにはきっとエンドユーザーこそがものごとを決定する、ってな根拠もあったんじゃないでしょうか。それまではどうしても一部の英語堪能な子女が自分の成果だと仕切っていましたし、ロックを本当に必要としていない世代の仕掛けは撲滅していきました。だから、これ<プレ・インターネット時代>だったから売れたとは言っても、そこに近い認識があったからじゃないんでしょうか。つまり記名で書くことが当たり前の責任を持っていながら、それが本当の記名性かどうかは危ういといったような立場に自分はいたわけでして、その辺が良かったんだろうなと思います。だって、編集者ってそういうものではないですか。そういえば、ブラーのデーモン・アルバーンが98年のレディング・フェスティバルでオオトリを務めたとき、まったく偶然に、出くわしたことがあります。ライブ当日の昼すぎ、いわゆるブランチをとりに表に出たら、偶然にもストリートをふらふら歩いてくるデーモンに会ったんですよ。あれは象徴的でしたわ。10万人のフェスのオオトリなのに当日ひとりでお散歩していて、俺に『今日のライブ来るよね?』とか会話しているっていう。ところが俺は当日アジズ・エーブラハム(当時のストーン・ローゼズのギタリスト)と約束していて、イスラムの音楽祭典に行ってしまった。で、会場では爆破予告があったというんで中止。その当時からユーロ離脱につながる差別の温床が露出していたんですよ。そういうことも掘り下げて書ければ良かったんだけど、そんな社会派まがいは無益だと思えたところが今回の発見でもありましたね。

ブリットポップには意外と普遍性があった

――現在は雑誌もCDも売れなくなり、当時とはだいぶ状況がちがいますよね。 増井:一般に雑誌の媒体活力は、イベントと結びついていないと無理です。音源購入の動機も違ってきています。ただし、それを言うなら小説も絵画も映画も古の文化でしょう。洋楽ロックがいま響かないのは特別な要因はなにもありません。だって今でもAKBだの、思春期的なもの、性と結びついたもの、若さの無秩序なパワーってのは魅力的でないわけがありませんから、そんでテイラー・スウィフトが売れる。あれはね、モリッシーみたいに個人の事情を一切動機にしてないから偉い。発展途上国用の普遍の若さで歌詞を作り、先進国用にリズムと動画を作ってますね(笑)。 ――増井さんが積極的に取りあげていたストーン・ローゼズやオアシス、ブラーなどがいまだに第一線で、雑誌の表紙を飾っているような状況をどう思いますか? 増井:あれから一歩も進んでいない……と言いたいところですが、終わりを背負ったからこそ開拓できた音楽っていうのは、意外とというか、案の定というか、しぶといんです。その理由はね、最初も最後も、いろんなことを知っているからです。レッチリの音楽がどれだけ『アンダー・ザ・ブリッジ』からの焼き直しだろうが、情熱のありかと方法論を知っているのは大きい。例えばスタイル・カウンシルをいま聞くと真っ青になります。あの月並みさはあり得ない。でも、その後のポール・ウェラーは総合的に学習しているわけです。そういうものが残るんであって、一時を切り取ったものはブームが去れば終わってしまう。
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当時の読者に徹底的に奉仕する本にしたかった
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ロッキング・オン天国

ロックを盛り上げ、10万人の読者を巻き込んだ敏腕編集長が、「その熱狂」のすべてを語る!


終わった人

「定年って生前葬」シニア世代の今日的問題を描いた話題作。

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