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“1984体制”から10年後のWWE――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第147回

 WWEとWCWの2大メジャー団体時代が6年めに突入し、“鬼才”ポール・ヘイメンがフィラデルフィアの弱小インディー団体ECW(イースタン・チャンピオンシップ・レスリング)の経営をテイクオーバーし、団体名をECW(エクストリーム・チャンピオンシップ・レスリング)と改称、ハードコア革命をスタートさせたのも1994年のことだった。  38歳で全米マーケット制圧プロジェクトに着手したビンスは48歳になり、30歳でWWE世界ヘビー級王座をその手中に収めたハルク・ホーガンも40歳になった。ビンスはホーガンに引退を勧告したが、ホーガンは引退ではなくて“引退ドラマ”を演じることを選択し、“1984”から10年間つづいてきたビンスとホーガンの蜜月関係には亀裂が生じていた。  “レッスルマニア8”(1992年4月5日=インディアナ州インディアナポリス、フージャードーム)で“引退試合”をおこなったホーガンは、それからちょうど1年後の“レッスルマニア9”(1993年4月4日=ネバダ州ラスベガス、シーザース・パレス)で予定どおり戦列復帰し、いきなりヨコヅナを下しWWE世界王座を奪回。それから2カ月後に開催された6・13PPV“キング・オブ・ザ・リング”でヨコヅナに敗れて王座から転落すると、そのままWWEのリングからフェードアウトした。  ワンポイント・リリーフといわれていたヨコヅナは意外なほどしぶとくチャンピオンベルトをキープし、WWE世界王座をめぐる長編ドラマはヨコヅナ、“ヒットマン”ブレット・ハート、レックス・ルーガーの3人をキーパーソンとした新チャプターへとシフトチェンジされた。
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そんななか“ステロイド裁判”が…
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