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戦中~戦後にかけて強姦殺人を繰り返した鬼畜・小平義雄という男【大量殺人事件の系譜】

戦後の食糧難を巧みに悪用した犯罪

芝公園

芝公園に鎮座する幸稲荷神社

 戦後の混乱からまだ立ち直っていないばかりか、食糧難が深刻で、誰もが空腹に苦しんでいた時代。1946(昭和21)年8月17日。東京・芝の増上寺裏山で、17歳の少女の全裸死体が発見された。かたわらの草むらには、白骨化した別の女性の遺体もあった。17歳少女の日記に「小平義雄と会う」との約束が記されていたことなどから、当時42歳の小平が4日後に逮捕された。  小平の手口はこうだ。逼迫した食糧事情の中、 「安くお米を売っている農家を紹介しましょう」 「いい買い出し先がある。一緒にいかがですか」  などと、親切さを装って女性を誘い出す。当時、東京の有楽町や新橋、新宿、渋谷などには駅前を中心に闇市が開かれていた。公定価格の10倍から100倍の値で、食糧品や生活用品などが取引されていた。それでも飛ぶように売れたというが、皆、少しでも安い品を求めていたのである。そんな社会状況を巧みに悪用した犯罪だった。  逮捕された小平は、いったん留置された目黒署から捜査本部のある愛宕署に移され、本格的な取調べを受けた。すると、意外とあっさり犯行を自供。前年(1945年)5月から計7件の強姦殺人に手を染めていたことも明らかになった。被害者は、15歳から30歳の女性だった。  1905(明治38)年に栃木県で生まれた小平は、1923(大正12)年に海軍機関兵となる。6年後に海軍を除隊。その後、郷里で結婚したが、私生児をもうけていたことが妻に知られ離婚を迫られた。逆恨みした小平は、妻の実家に乗り込み、義父を刺殺するなどしていたことも判明した。受けた懲役は15年だったが、2度にわたる恩赦を受け、7年を務めただけで1941(昭和15)年に仮釈放される。7件の強姦殺人は、仮釈放中の犯罪だったのだ。  反社会的で反倫理的な行為は、快楽を求めるための手段でしかなかった。当時の供述調書によると、犯行時の様子を小平は次のように語っている。 「首を絞めて失神させ、女を横にして下を見ながら関係しようとする瞬間が、何ともいえないのです。殺されてもいいと思うときがあります。日本刀でうしろから首を斬られてもかまいません。そんなによいのです」
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甚だ珍しい生来性性格異常者で、責任能力のある人格
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