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戦中~戦後にかけて強姦殺人を繰り返した鬼畜・小平義雄という男【大量殺人事件の系譜】

「甚だ珍しい生来性性格異常者で、責任能力のある人格」

 1年以上にわたって継続された未曾有の大事件。当然、小平は精神鑑定を受ける。結果は「精神病質」だった。鑑定では犯行を、一時の衝動で発生したものではなく、計画的で意識的に行われた、と認定。さらに、「甚だ珍しい型の生来性性格異常者で、しかも責任能力のある人格と判定する」という。  実はこれ以前にも、1927(昭和2)年、出征先の中国での軍隊経験の中で、小平は同じような犯罪を行っていたことを自供している。中国人の家に強盗に入り、女性が在宅していれば強姦する。反抗する相手は有無を言わせず殺傷した。 「強盗強姦は日本軍隊につきものですよ」 「私も5、6人はやっています。相当残酷なことをしたものです」  などと供述したことが、供述調書に記されている。戦地で日常的に繰り返された強盗強姦が、その後の惨劇の伏線としてあったのか。そうだとすると、小平の戦慄の犯罪には、戦争の陰も見え隠れしてくる。  冒頭で触れた平塚八兵衛は、地を這うようにして行う捜査と、厳しい取調べで難事件をいくつも解決してきた名刑事だ。納得できないことがあると、上司にですら食ってかかるほど激しい性格だった。一方で、非常に正義感と人情味あふれる人柄で、自供させた容疑者から一目置かれることも少なくない存在でもあった。そうしたことが影響を与えたのだろうか、1948(昭和23)年11月に死刑が確定したあと、小平は拘置所の中で改心し反省の日々を過ごしていった。 「こういう落ち着いた日に死ねるのは幸福だ」  1949(昭和24)年10月、鬼畜・小平義雄は静かにこう語り、穏やかな表情で絞首台にのぼったという。 <取材・文/青柳雄介>
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