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ヒットマンの苦悩と王座転落“人事”――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第175回

 結論からいえば、サブミッションの攻防=セコンドによるタオル投入という“設定”はアメリカの観客にはあまりウケなかった。ブレットはシャープシューター、バックランドはチキンウイング・クロスフェースという関節技をそれぞれフィニッシング・ムーブとして愛用していたが、試合の決着を関節技だけに限定したルールにはそこに至るまでの試合中のあらゆるプロセスが無意味になってしまうという欠陥があった。  試合のクオリティーとオリジナリティをとことん大切にするブレットはパイルドライバー、ブルドッギング・ヘッドロック、レッグ・スウィープ(河津ドロップ)、ペンディラム式バックブリーカーといった大技のレパートリーをしっかりと披露したあとでシャープシューターにトライ。ここでオーエンが乱入し、レフェリーのブラインドをついてバックランドを救出した。  いっぽう、バックランドがチキンウィング・クロスフェースでブレットの顔面を絞め上げると、ブレットはなんと“9分間”にわたりこれをディフェンス。最後はセコンドのヘレンさんが見るに見かねてタオルを投入し、35分11分、バックランドのTKO勝ちで試合が終わった。  セコンドのタオル投入による試合終了―王座移動というワンシーンは、どうやら11年まえの王座移動ドラマのオマージュになっていた。そのときはバックランドがアイアン・シークのキャメルクラッチで半失神状態となり、バックランドのセコンドのアーノルド・スコーランがリング内にタオルを投げ込んだ(1983年12月26日=ニューヨーク州ニューヨーク、マディソン・スクウェア・ガーデン)。  ブレットは“レッスルマニア10”(1994年3月20日=マディソン・スクウェア・ガーデン)でヨコヅナを下し、ようやく奪回に成功したWWE世界王座を8カ月で失った。またしても長期政権樹立はならなかった。
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ブレット対バックランドのタイトルマッチは…
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