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新崎人生HAKUSHIがWWEデビュー ――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第178回

 新崎の純日本的なキャラクターとその持ち技のレパートリーに興味を持ったのはWWE世界ヘビー級王者(当時)“ヒットマン”ブレット・ハートだった。カナダの“プロレス名所”カルガリー出身で、本格的なデビューをまえにミスター・ヒト(安達勝治)、ミスター・サクラダ(桜田一男=のちのケンドー・ナガサキ)というふたりの日本人レスラーからスパーリングの手ほどきを受けたブレットは、ジャパニーズ・レスラーとそのメンタリティーに特別な感情を抱いていた。  新崎をWWEにスカウトしようと考えたブレットは、新崎のマネジャーとしてかつてカルガリー・マットで活躍し、日本でも悪党マネジャーとして一世を風びしたショーグン・KY・ワカマツ(若松市政)のブッキングを検討したが、このプランは実現しなかった。  WWEが新崎を“招集”したのは日本公演“マニア・ツアー”から半年後の1994年11月。11・23PPV“サバイバー・シリーズ”サンアントニオ大会からWWEのツアーに合流した新崎は、ここでビンス・マクマホンら首脳陣と対面。現地ではマネジャー役として佐藤昭雄(元全日本プロレス)が待機していた。  翌11月24日から27日までの4日間を佐藤の自宅があるミズーリ州カンザスシティーで過ごした新崎は、28日の早朝、国内線でニュージャージー州ニューアークに移動。ニューアーク空港でレンタカーを借りてニューヨークのアッパーステート、パキプシーに向かった。空とフリーウェイをフルに使ったWWEスタイルのツアー生活のはじまりだった。
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