ライフ

ドキュメンタリーの鬼才・原一男が今、水俣病を撮る理由「ジレンマを10年間抱えながらカメラを回した」

――先ほど、”昭和のようなスーパーヒーロー”はもう現れないだろうと仰っていましたが、今年上映された森達也監督の『FAKE』の主人公である佐村河内守氏は“現代のスーパーヒーロー”ではないかと思うのですが?  あれは“マイナスのスーパーヒーロー”っていうのかな? 私たちが撮った“昭和のスーパーヒーロー”って、もっと世間に対して積極的で、前向きで、プラスの要素を持ってたじゃないですか。感覚的な言い方ですけどね。昭和の時代ならああいう人は選ばないだろうって思いますね。平成という時代だから、マスメディアから叩かれてへこんで、世の主流に背を向けている佐村河内さんみたいな人にカメラを向けざるを得ないのかなと思います。  『ゆきゆきて、神軍』の奥崎謙三さんは非常に積極的に国家に対して攻めていく人だからね。人の命を取ってでも自分の信念のままに進むって人だから。今は許されないですよね。  あと、『FAKE』っていうのは紛れもなく森達也という“作家の映画”なんですよね。あれは森達也が長年フェイクドキュメンタリーをやりたい、やりたいと言い続けてきて、ついに格好の素材に出会ったということなんです。まず自分の中にイメージや方法論が先行して存在して、それから素材に出会う。だけど私が思うに、ドキュメンタリーっていうのは自分が物凄く魅力を感じる人物と出会って、それから一つの方法論を発見していくっていう作り方があるはずなんです。「ドキュメンタリーとは出会いである」という定義付けが私の中にはあるので。  だから、森と私では随分方向性が違ってきたかな、という気はしますね。アスベストも水俣も、私は“作家の映画”というよりやっぱり“運動の映画”だと思ってるんですね。『FAKE』を観て、森達也はより作家の方へ現実を引きずり込んでいく作業をやったんだなと。私は、より運動の方へ自分を寄せていって、それが持っている意味について考えたいと思うようになってきたんですよね。 ――今回、小川プロダクション全20作品がDVD化されるということですが、周りの反応はいかがですか?  20代の頃、小川プロの作品っていうのは僕たちにとって、“絶対に乗り遅れてはいけない”という感じがあったんですよ。
「ジレンマを10年間抱えながらカメラを回した」ドキュメンタリーの鬼才・原一男が今、水俣病を撮る理由

小川プロの代表作『三里塚シリーズDVD BOX-闘争から農村へ-』

 三里塚闘争に関する作品にしても、小川プロの人たちはその地に住み着いて、撮影をしていくわけです。それには膨大なお金がかかるでしょ。だから制作部の人たちは草の根を分けるようにして支援者を探して、口説いて、どうにかしてお金を借りるわけです。で、小川プロが解散するときに「いったい借金いくらあるんや?」って聞いたら、なんと1億円だと。いったいどんな人がお金を出したかというと、ごく普通の生活者ですよ。地方公務員とかね。そういう人が出した少額が積もり積もって1億円。借金と言えども、そのこと自体が今となっては奇跡としか思えません。  しかし残念ながら、この奇跡を知ろうとする若者は今ほとんどいません。私が日本映画学校で専任の講師をやっていたときに、小川プロのかつてのスタッフを呼んで連続講座をやったことがあるんですよ。1回目はさすがに70~80人来てましたが、2回目からは10人いなかったもんね。歴史を知ろうとしないんですよ。正直に言って、若者たちの受け止める能力自体が劣化してるんじゃないかと私は思ってしまいます。 ――今、小川プロに対して思うことはありますか?  農村というのは、ずーっと閉鎖的な因習というようなものを引きずってきたところなわけでしょ。小川紳介監督は三里塚に入って、“闘う農民たち”に惹かれたわけですね。そのこと自体は、別にとやかく言う筋合いではないんですね。「三里塚シリーズ」という傑作を遺してくれたわけですから。ですが、三里塚闘争に参加しなかった、避けていた、否定的だった農民の人もたくさんいたわけですね。私は、小川さんが、目を向けなかった人たちの存在が、ずーっと気になっているんですね。これは、小川プロの仕事を否定しようといるわけではなくね。  小川紳介監督にとっては、映画としてオモシロいほう、つまり闘争をやっている農民たちにカメラを向けたわけですが、その背後には闘争をしていない農民たちがいたはずなんです。そこが問題ですよね。つまり今、日本の社会は、戦後民主主義が未曾有の危機にありますが、それを危機と感じてない人たち、無知で、無関心で、という人たちが多くいます。その無知で、無関心で、という人たちが、その危機を作り出している張本人である現政権を支持しているという、そしてそのことにまったく無自覚、という悪夢のような状況です。  だから、私のイメージですが、三里塚の、小川さんが目を向けなかった農民たちの系譜として今の政権を支えている無自覚な人たちという存在と繋がっているんだと思っているんです。その無自覚な系譜の人々の持つ問題点を明らかにする作家が出てこないといけないんじゃないかと考えているわけです。 ――小川監督が撮らなかったものに、今度は原さんがカメラを向けると?  うん、やっぱりこの問題に気づいている人がやらなくてはならないとは思ってます。それに小川さんの次の世代っていうと私になってくるんですよ。そんな私が今アスベストや水俣の問題をやっている。なんの因果か(笑)。「『FAKE』みたいなド派手な、話題を集める作品を撮ってみたいよ、俺だって!」って言いたくなりますけどね。  アスベストの運動は、勝ち取ったものも色々あり評価されて然るべきではあるのですが、私は「裁判に勝って、いくらかお金を貰って、それで良しとするような怒り方で貴方たちはいいんですか?」というメッセージを込めようとしています。  水俣の方はまだどういうメッセージになるかわかりませんが、決して「水俣で闘った素晴らしい人たち」と謳い上げる映画にはならないですよね。権力に対して唯々諾々とやり過ごす日本人に対して「お前たち、アホとちゃうか?」と問いかけるような映画を作らないといけないんじゃなかろうかと思うわけです。その中には「こういう生き方をしなければいけないんじゃないか?」というアンチテーゼというか、未来へのイメージを入れないと、映画を作ることの意味が完結しないんじゃないかと思うんでね。 ――小川プロ作品を観たことがない人がまず観るならこれ、というのがあれば教えて下さい。  三里塚シリーズの中で、アクション映画のノリで一番オモシロく見やすいのは『第二砦の人々』。機動隊と農民たちの攻防を描いているので、画面が躍動しているんです。退屈するような理屈の部分はそんなに入っていないので、初めて小川プロ作品を見る人にはオススメです。  あともう1つ、三里塚の後に山形に移住して撮られた作品の中で『1000年刻みの日時計』というのがあります。3時間以上ある長い映画です。これは稲と、稲に悪影響を及ぼす冷気との関係を、まるで科学映画のような表現方法で描いている。稲の受粉の様子も撮っているんですが、これが実にエロチックなんですよね。これだけで半分くらいを占めていて、残りの半分はその農村にまつわる歴史的エピソードを、そっくり再現、何年か前の農民一揆を村人全員で再現したり。そこにはプロの俳優も何人か入れて劇映画的なタッチを導入しています。表現の多様性という点でも実に面白い映画になっています。
「ジレンマを10年間抱えながらカメラを回した」ドキュメンタリーの鬼才・原一男が今、水俣病を撮る理由

愛用のカメラを手にする原一男監督

『MINAMATA NOW! 特別編集版』1日限定公開!

第9回シューレ大学国際映画祭にて8月28日(日)14:30~上映 監督・撮影:原一男/2016年/45分/日本 http://shureuniv.org/filmfes/ <取材・文/鴨居理子>
1
2
3
ゆきゆきて、神軍

今村昌平企画、原一男監督による異色ドキュメンタリー。天皇に向けパチンコ玉を撃った過去を持ち、過激に戦争責任を追及し続けるアナーキスト・奥崎謙三。そんな彼が、ニューギニア戦線で起きた疑惑の真相を探るべく、当時の上官を訪ね歩く姿を追う。

おすすめ記事