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GHQ支配下で起こった12人毒殺の冤罪「帝銀事件」はまだ終わっていない【大量殺人事件の系譜】

遠藤周作、大島渚、松本清張らが平沢を支援

 その後も平沢は無実を訴え続け、再審請求を繰り返した。平沢には毒物・薬物に関する知識がなく、厚生技官の名刺は20枚以上が所在不明となっている。家族がアリバイを証言し、前年の未遂事件の人相についても「平沢とは似ていない」という人がいる。平沢犯人説は供述調書も含め、ねつ造された疑いが濃厚なのだった。 帝銀事件 12人が一度に毒殺された未曾有の事件。しかも冤罪が強く疑われる。多くの人が支援に立ち上がった。野間宏や遠藤周作、水上勉、大島渚……。松本清張は『小説帝銀事件』や『日本の黒い霧』を著し、平沢シロ説を展開している。一方で、警察内部にも「平沢は犯人ではない」と主張する捜査員もいたという。  1962(昭和37)年、「平沢貞通氏を救う会」が結成された。作家の森川哲郎が会長を務め、平沢の救出に生涯を捧げた。当時、救う会の事務局員だった山本晁重朗(79)は、拘置所の平沢と面会や手紙のやり取りを重ねていた。山本が振り返る。 「さまざまな証拠や状況を仔細に検討した結果、平沢さんは間違いなく無実と確信していました。拘置所の面会室で会ったとき、『再審請求をしているので、もう少しお待ちください』と励ますと、ニコニコされていたのをよく覚えています。紳士的な方で、あのような凄惨な毒殺事件ができるような人ではありません」 帝銀事件 その山本が、再審請求に関連して偽証罪で逮捕されたことがある。平沢が所持していた10万円あまりの出所が不明だと前述したが、それはある男が平沢から絵画を購入したものだった。当時の大金である10万円あまりは、男が闇市で不当に儲けた金で、それを証言することができなかったのだ。
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平沢は39年間も獄窓につながれ、刑務所で獄死
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