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キミはアランドラ・ブレイズを知っているか?――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第191回(1995年編)

 WWEとは1993年10月に契約。メドゥーサ自身はメドゥーサというリングネームにこだわったが、ビンス・マクマホンはタレント自身とそのエージェント(弁護士)が版権を保有・管理するリングネームの使用を認めず、アランドラ・ブレイズというまったく新しいキャラクター・ネームが考案された。  WWEはA・ブレイズのデビューと同時にそれまで空位となっていたWWE世界女子王座を復活させ、新王者決定トーナメントを開催し、1993年12月、トーナメント決勝戦でハイディ・リー・モーガンを下したA・ブレイズが同王座を手にした。  新チャンピオンとなったA・ブレイズは王座防衛戦のための“定番”の対戦相手としてブル中野を日本からブッキング。A・ブレイズ対ブルのタイトルマッチ・シリーズが全米ツアーをまわったあと、東京ドームのリングでブルがA・ブレイズを退け同王座を獲得(1994年11月20日)。それから半年後、こんどはニューヨークでA・ブレイズがブルを倒して王座奪回に成功した(1995年4月3日)。  メドゥーサ、というよりもアランドラ・ブレイズは1995年11月にWWEを退団。翌12月にライバル団体WCWと電撃契約し、“マンデー・ナイトロ”の番組内でWWE世界女子王座のチャンピオンベルトをゴミ箱に捨て、関係者を驚かせた。WWE“ロウ”対WCW“ナイトロ”の月曜TVウォーズのプロローグにおいてメドゥーサは重要な役割を果たしたのだった。(つづく)
斎藤文彦

斎藤文彦

※この連載は月~金で毎日更新されます 文/斎藤文彦 イラスト/おはつ ※斎藤文彦さんへの質問メールは、こちら(https://nikkan-spa.jp/inquiry)に! 件名に「フミ斎藤のプロレス講座」と書いたうえで、お送りください。
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