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HBK政権誕生の予感@“イン・ユア・ハウス6”――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第212回(1996年編)

 WWEがPPV(ペイ・パー・ビュー=契約式有料放映プログラミング)を年間12大会の新スケジュールでプロデュースするようになったのは1996年。1月の“ロイヤルランブル”と3月の“レッスルマニア”にサンドウィッチされる形で2月のミニPPV“イン・ユア・ハウス6”がプロデュースされた。  2.18“イン・ユア・ハウス”ルイビル大会の公式ラインナップはレーザー・ラモン(スコット・ホール)対123キッド(ショーン・ウォルトマン)、ハンター・ハースト・ヘルムスリー対デューク・ドローシー、ヨコヅナ対デイビーボーイ・スミス、ショーン・マイケルズ対オーエン・ハート、そしてブレット対ディーゼルのタイトルマッチの全5試合。ブレット対ディーゼルのWWE世界戦は金網マッチ(エスケープ方式)としておこなわれた。  第4試合にラインナップされたショーン対オーエンのシングルマッチの入場シーンではショーンが“イン・ユア・ハウス”の大会ロゴがディスプレーされた舞台セット上に登場し、ワイヤーロープを使ってアリーナ上空から入場ランプに降り立つという演出が用意されていた。  “カルガリーの天才児”オーエンは兄ブレットとの2年ごしの近親憎悪ドラマを通じてメインイベンター・クラスのヒールとしてのポジションを手に入れていたが、“レッスルマニア12”のキーパーソンとなったショーンとのシングルマッチというまったく異なるシチュエーションではあまりにもイージーに“やられ役”を演じてしまった。  ショーンは十八番スウィート・チン・ミュージックでオーエンからピンフォールを奪ったあと、リング上でまたしてもえんえんとダンス・ルーティンをくり返した。それはショーン自身の主張であると同時にビンスからの“お墨付き”をデモンストレーションするための予定の行動でもあった。
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ブレット対ディーゼルの金網マッチは…
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