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8人が命を落とした日本で最初の大規模な爆破テロ「三菱重工爆破事件」【大量殺人事件の系譜】

 60年安保から70年安保、そして連合赤軍事件と続いていた時代、この爆弾テロを起こしたのは武闘派左翼「東アジア反日武装戦線」のメンバーで、“狼”を名乗る20代の青年4人、大道寺将司と益永利明の両死刑囚、佐々木規夫、大道寺死刑囚の妻あや子の両容疑者だった。  容疑者逮捕までには時間がかかった。捜査が難航するうちに、事態は三井物産や間組など11ヶ所が標的にされた「連続企業爆破事件」へと発展していった。その発端がこの事件だったのだ。  彼らが逮捕されたのは、翌1975年5月だった。捜査と取調べが進むにつれ、過激派グループの全貌が次第に明らかになっていく。  爆弾を仕掛けた実行犯は大道寺、益永両死刑囚。2人は殺人と爆発物取締罰則違反などの罪に問われ、1987年に死刑が確定した。佐々木容疑者は爆破予告電話をかけ、あや子容疑者が現場の見張り役だった。佐々木、あや子両容疑者は逮捕されたものの、日本赤軍の「ダッカ日航機ハイジャック事件」(1977年)に対する「超法規的措置」で釈放され出国し逃亡、現在も海外で活動し、所在がわかっていない。  “狼”の犯行の目的は何だったのか。企業を中心とする戦後の経済成長が、さまざまなひずみを生んでいた時代に、天皇と日本の戦争・戦後責任を追及し、それとともに「大企業によるアジア経済侵略」を阻止しようとしたのが、このテロだった。
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“狼”は犯行の約1ヵ月後に犯行声明
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