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「第1回M-1グランプリ」準優勝コンビのその後

――ご自身が芸人として迷走する時期を振り返りながらの執筆は、辛くはなかったですか? ユウキロック:僕自身、後ろ向きな人生は大嫌いで、そんな体たらくから早く脱却したいからこそ、大好きな漫才を捨てました。ただ、前向きに生きるために解散を選んだにも関わらず、過去の失敗を書き綴らなければならなかった。「なぜこんなことを始めてしまったのか?」と後悔しましたし、書くのが辛くて何度も落としそうになりました。しかし、今終わってみると、清々しい気持ちでいっぱいです。 ⇒【写真】はコチラ(1995年に結成した「ハリガネロック」当時)
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「第1回M-1グランプリ」準優勝コンビのその後

1995年に「ハリガネロック」を結成。関西の新人賞を立て続けに受賞していく。

――普段、テレビや劇場で見るお笑いの世界とは異なる内幕が克明に描かれていて、とても衝撃的でした。周囲の反響はいかがでしたか? ユウキロック:反響は凄かったです。連載を始めるにあたって決めたことは「事実を赤裸々に書く」ということだったので、ともかく赤裸々に書いたのですが、赤裸々すぎたようです(笑)。自分の感情に嘘を付いたカッコつけた文章だけは書きたくなかったので、「転落した自分」というものをリアルにさらけ出しました。 ――特に元相方の大上邦博さんに対して、辛辣とも思える描写が印象に残ります。 ユウキロック:その反響が一番多かったですね。コンビ時代から「大上に厳しすぎる」と批判を受けていましたが、ただ自分としては、大上は「戦友」であり、「家族」。その「戦友」とともに真剣に頂点を目指していました。だからこそあそこまで厳しくなれたわけです。この部分を避けて、綺麗事を書くことこそ、大上の人生を否定しているようだと思い、できる限り忠実に書きました。
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ヨシモトの内情も包み隠さずに執筆
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芸人迷子

島田紳助、松本人志、千原ジュニア、中川家、ケンドーコバヤシ、ブラックマヨネーズ……笑いの傑物たちとの日々の中で出会った「面白さ」と「悲しさ」を綴った入魂の迷走録。

⇒試し読みも出来る! ユウキロック著『芸人迷子』特設サイト

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