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RADWIMPS、ゆず…“愛国ソング”と叩かれても、なぜ彼らは歌うのか

なぜ「愛国ソング」は批判されるのか?

 「日本を愛する」をテーマにした作品は、音楽に限らずアニメやマンガや映画、テレビ番組など多岐にわたる。だが、“一部の人”はそれらの作品を「愛国ポルノ」と批判する。これはいわゆる「ヘイト造語」だ。  彼ら、そして彼らに同調する日本の一部マスメディアは、日本以外の国の国民――アメリカ人でも中国人でも韓国人でも――の自国に対する愛国心を批判しない。しかし、日本人が「日本」を愛することだけは絶対に許さない。そして日本人が愛国心を持つことを断固阻止しようとする。特に文化については非寛容的で、だからRADWIMPSやゆず、椎名林檎などのJポップの楽曲も、ネットやマスメディアを駆使して吊し上げた。これが、「愛国ソング」騒動の正体だ。

「愛国ソング」は現代版「反体制ソング」

 戦後から80年代あたりまでの流行歌には、政治的な要素を内包するものが多かった。それらはもっぱら、既存の権力や慣習などへの反抗心を歌った、狭義の労働歌や反戦フォーク、パンクロックなど、反体制のスタンスが当たり前だった。「日本の心」とされている演歌ですら、その定義を創り出したのは実は新左翼だったとされる(輪島裕介『創られた「日本の心」神話』2010年)。  昭和戦後の一般世論は、反体制が当然であり、またカッコイイものとされ、コンテンツもそれに基づいて(あくまでも無意識に)生み出されていた。  ではなぜ今、反体制の象徴であるロック・ミュージシャンが、体制側であるはずの「愛国ソング」を歌うのだろうか? その答えは単純明快だ。「愛国」が反体制に転じてしまったからである。  戦後日本では、日本(「愛国」)を体制側と規定し、日の丸・君が代を「悪」とする教育が行われ、また一部マスメディアもそう報じた。日本人は長い間、「権力者」(教師・新聞・テレビ)から「国を愛してはいけない」という「反愛国」思想を押し付けられてきたのである。  であれば、“「反愛国」押し付けられ世代”が、「反愛国」思想をむしろ体制と考え、それに抗って「愛国」に向かうことは自明の理である。ましてやその世代のロック・ミュージシャンであればなおさらだ。筆者としては、反体制としての彼らの心意気を頼もしく感じる。  また、ほかの政治思想の面でも対立構造が真逆に入れ替わっている。政治思想は、大きく左派と右派に分けられるが、ここでは、本テーマの便宜上、あえて分かりやすく右派(愛国側)と左派(反愛国側)とさせていただく。 【昭和戦後~平成中頃】 体制/右派(愛国側)  反体制/左派(反愛国側) 【平成中頃~】 体制/左派(反愛国側) 反体制/右派(愛国側)  日本には戦後長らく、右派(愛国側)が体制で左派(反愛国側)が反体制という構造が横たわっていた。しかし近年、国内では少子高齢&人口減少社会が到来し、国外では国際的な軍事的緊張の高まりも問題となっている。  だが左派は、その主要支持層が経済的に豊かな団塊の世代前後であることから、経済への危機感に乏しい。また、他国からの軍事的脅威に対しては、「9条があれば平和だ」という護憲論を唱え続けている。昭和戦後の既得権保守の体制派となっているのは、今や左派(反愛国側)の方なのである。そして、富の再分配や憲法改正の言論を活発に行っている右派(愛国側)が、今や改革を進めようとしている改革派なのだ。  社会問題が山積みの状況で、政治に疎くてはヤバい今の時代に、流行歌が政治性や反体制のスタンスを失ったままでいいのか? いや、そういうわけにはいくまい。そう考えるアーティストが増えてきたのではないか。そのような状況下で、RADWIMPSやゆず、椎名林檎が反体制たる「愛国ソング」を歌うのは、至極真っ当と言えよう。
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韓国政府を批判しても、韓国アーティストは批判しない
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