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天海祐希のカッコよすぎる人生哲学。もはや国民的アネゴ!?

 映画やドラマ、舞台、さらにはトーク番組のMCと、多彩な活躍を見せる天海祐希。最近でも、人気漫画『カイジ』シリーズの実写映画化3作目で、最終章にあたる『カイジ ファイナルゲーム』への1作目以来の再登場が発表されるなど、その勢いは衰えるところを知らない。
天海祐希

※画像は、天海祐希の公式サイトより

 また、明治安田生命が毎年発表している理想の女性上司ランキングでは、2010年から7年連続で1位に輝き、日本テレビのアナウンサー・水卜麻美に首位を譲った2017年以降も、しっかりと2位に入り続けている。視聴者からの好感度も非常に高いようだ。今回はそんな天海の生き様を、宝塚時代から紹介していこう。

宝塚時代:前例や慣習を打ち破る

 幼稚園児の頃から役者になりたいと思っていたという天海は、1985年に宝塚音楽学校席へ首席で入学、2年後の1987年には、73期生として宝塚歌劇団に入団した。  入団からわずか10ヶ月後には、入団7年目までの若手スターによる新人公演で、主演を務めることに。これは、入団1年目のタカラジェンヌとしては異例の大抜擢だったようだ。入団7年目の1993年には、宝塚史上最年少で月組のトップスターに就任。順風満帆にキャリアを積み重ねていった。  宝塚に入る前から、固定観念にとらわれない姿勢を見せていたという天海。音楽学校時代には、髪の毛のハネを防ぐために、何十本ものヘアピンを留めて固めるという、不要な規則の廃止に貢献したという。またトップスターになってからも、自身のこだわりからか、宝塚の象徴である「大羽根」を背負うことを拒んだこともあった。
meandmygirl

『ME AND MY GIRL』は、天海が新人公演で初めて主演を務めた作品であると同時に、宝塚で演じた最後の作品でもある。(画像は『復刻版DVD「ME AND MY GIRL」』宝塚クリエイティブアーツより)

退団~ブレイク:宝塚のトップからテレビドラマのトップへ

 驚くべきスピードで、宝塚男役の頂点に立った天海だったが、1995年には退団を決意。舞台女優という立場から一歩踏み出し、ドラマや映画といった映像の世界に挑戦した。  チャレンジを始めた天海だったが、すぐヒット作に恵まれたとは言えないだろう。だが、2004年に主演を務めた『離婚弁護士』(フジテレビ系)が好評を博し、その翌年にも、主演作『女王の教室』(日本テレビ系)が大きな反響を呼んだことで、一躍その名を轟かせることとなった。  その後も、話題作やヒット作への出演を重ね、女優として不動の地位を確立した天海。そんな彼女だが、2013年の宝塚音楽学校100周年式典を除き、宝塚のイベントや式典には顔を見せていないという。この古巣に対する姿勢にも、過去のことにこだわらない前向きさや、サバサバとした性格が表れているのかもしれない。
離婚弁護士

続編が製作されるほどのヒット作となった『離婚弁護士』で、主演を務めた天海。この作品が、女優として注目を集めるきっかけとなった。(画像は『離婚弁護士Ⅱ~ハンサムウーマン~ DVD-BOX』ポニーキャニオンより)

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