【政府や東電への対抗策】福島県人は行動の記録を残すべき

福島原発事故後、放射線の恐怖に怯える人々が続出している。かつて原子爆弾によって放射線の恐怖を知った先人は、現状をどう見るのか? 今こそ彼らの経験に耳を傾けよ! ◆被爆者のために自分ができることを 山田拓民さん(80歳) [当時14歳・長崎/爆心地から3.3km]
山田拓民さん

事務局長として多くの事例を見たからこそ、投下後に続く被害の重さを熱く訴えてくれた山田さん

 県立長崎中学校(現県立長崎高校)で被爆した山田さんは、大学卒業後、父に倣って教師になり、教職員組合でのアクティブな活動を経て、現在は日本原水爆被害者団体協議会代表理事および長崎原水爆被災者協議会事務局長を務める。 「幸い学校に行っていた私は無傷でしたが、自宅が爆心地から800m地点にあり、そこにいた母、姉、上の弟、生後まもない下の弟は2週間でみんな死にました」  原爆投下の日以降もしばらくの間、自宅近くに滞在していたが、1週間ほどで祖母を頼って長崎を離れた。動員先の三菱大橋工場で全身火傷を負った父親が、唯一残された家族だったが、火傷は回復したものの、16年後64歳のとき、肺がんで亡くなる。  肺がんは放射線とは断定できないが、家族全員を原爆に殺されたと思っている山田さん。それ故、山田さんは生き残った者としての使命感に燃えている。 ◆一向に進まぬ原爆症認定 福島人は日記を残すべき  反核・被爆者運動の先頭に立つ山田さんは、当然ながら福島の状況に対する憂いが深い。 「私たちは政府に原爆症(原爆の放射線に起因する負傷・疾病)の枠をせばめるな、と要求していますが、放射線に起因する病気というものは、決して特異な病気ではなく、がんにしてもその他の病気にしても、いわばどこにでもある病気なのです。それだけに、被害をできるだけ小さく見せようとする政府はなかなか原爆症と認めないのです。しかも、一旦政府が放射線のせいではないと主張すると、素人にはそれを覆すことはとても難しいのです。  これは、福島の場合も気をつけなければならない。政府にしろ、東京電力にしろ、被害をできるだけ小さく見せようとする。福島で、これから先、がんなどの病気が発生したとき、原発事故によるものだとその病人や家族が主張しても、政府や東京電力はそれを否定し、責任を認めようとしないでしょう。しかも、放射線による病気は、発症するまで年月がかかることが多いです。発病した人が福島県内のどこにいたのか、いつ頃どのあたりを歩き回ったのかを忘れてしまうこともあるでしょう。そんなあいまいなことでは、政府や東京電力に立ち向かうことは困難です。そうならないように、今のうちから、できるだけ行動の記録を残しておくようにして下さい。それに放射線による病気は、50年、60年たっても被爆者を苦しめていることを忘れないで下さい。健康診断も一生涯継続できるよう、政府に働きかけたいと思っています」 ― 長寿被ばく者からの[伝言]【3】 ―
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