被爆者が生きるということ――「体調が悪くても原爆のせいだと思いたくない」 

福島原発事故後、放射線の恐怖に怯える人々が続出している。かつて原子爆弾によって放射線の恐怖を知った先人は、現状をどう見るのか? 今こそ彼らの経験に耳を傾けよ! ◆体調が悪くても原爆のせいだと思いたくなかった 上野博之さん(73歳) [当時6歳・広島/入市被曝]
上野博之さん

上野博之さん

 原爆投下当時、爆心地から12km離れた父の実家(現安芸中野駅付近)へ疎開していたが、広島市内から帰らぬ父を捜しに、母と共に入市して被爆した上野さん。当時6歳ながら記憶は鮮明だ。 「5日間ほど市内を歩き回り、その後段原(爆心地から2・3km)の親戚の家に預けられて、そこで新学期が始まるまで暮らしていました。その後、やはり親元に帰ることになり、母がいる安芸中野へ移りました」  被爆3か月後に家族全員下痢を発症し、自身は翌年6月から小児喘息に悩まされ、学校にはほとんど行けなかった。以降、10歳で肝炎を患い、30歳での急性腎炎を患ったことを除けば健康体だという。 「同級生はバタバタ白血病で死んでいきましたし、いつか自分もそうなるだろうという意識は常にありました。でも、病院で何か病気を告げられても、『原爆のせいか』とは、怖くて聞けない。被爆者が生きるというのはそういう不安との闘いなんです」 ― 長寿被ばく者からの[伝言]【6】 ―
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