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終わらない「安倍政権」という悪夢<京都精華大学准教授・白井聡氏>

―[月刊日本]―

「二〇一二年体制」とは何か

自民党―― 岸田政権は安倍政権路線を継承しており、未だに安倍政権が続いているかのようです。白井さんは新著『長期腐敗体制』(角川新書)で、こうした状況を「二〇一二年体制」という観点から読み解いています。 白井聡氏(以下、白井) 「二〇一二年体制」は私がつくった言葉ではありません。安倍政権から菅政権に替わったとき、政治学者の中野晃一氏が菅政権の誕生をどのように見るべきか分析する際に用いていた言葉です。私はこの論考を読み、「我が意を得たり」という思いだったので、私もこの言葉を使用することで人口に膾炙させたいと思ったのです。 「二〇一二年体制」とは、二〇一二年に誕生した安倍政権が、安倍氏が首相を辞めたあとも変わらず続いていると捉える見方を意味します。実際、安倍政権のあとに誕生した菅政権や現在の岸田政権は、安倍政権と本質的な意味で違いがありません。 「二〇一二年体制」のポイントは、「体制」であることです。これは「政権」とは違います。政権は「安倍政権」や「菅政権」といったように固有名を冠して語られます。これに対して、体制は「共産主義体制」や「幕藩体制」といった使い方をされ、誰それという名前は消えます。たとえば、幕藩体制では徳川家康が死去したあと、何人も将軍が替わりましたが、もちろん継続しました。体制は権力構造が固定化しているので、誰がトップになっても影響を受けないのです。  また、体制は長期政権とも違います。政権が長期化すればそのまま体制になるわけではありません。過去には佐藤政権や中曽根政権、小泉政権も長期政権になりましたが、体制化することはありませんでした。  二〇一二年以降に成立した権力がなぜ体制にまでなったかと言えば、一つは野党が弱いことです。安倍政権下では森友学園問題や加計学園問題など数々のスキャンダルが出てきましたが、野党は内閣を倒すことができませんでした。その後、野党の弱体化はさらに進み、いまや政権交代の見込みはほぼゼロとなっています。もう一つは、与党内にも安倍氏に逆らえる人がいなくなったことです。安倍政権時代には石破茂氏が安倍氏を厳しく批判していましたが、徹底的に排除されました。こうして安倍氏を脅かす勢力がいなくなった結果、安倍政権は体制化していったのです。  それを象徴するのが「安倍一強体制」という言葉です。安倍政権が発足してから三、四年ほどたつと、メディアに「安倍一強体制」という言葉が登場するようになりました。メディアはこの政権が体制化したことを無意識的に読み取っていたのでしょう。 「二〇一二年体制」は「五五年体制」を強く意識した言葉です。五五年体制も体制と呼ぶに値する安定性を持っていました。しかし、冷戦が終結して五五年体制が崩れると、「ポスト五五年体制」という言葉が盛んに唱えられるようになります。そして、政治改革を求める声が強まり、小選挙区制が導入されました。ここで想定されていたのは「政権交代可能な二大政党制」であり、これこそが「ポスト五五年体制」だと考えられていました。  その後、二〇〇九年に民主党政権が誕生したことで、ついにポスト五五年体制が成立したかに思われました。しかし、この政権はわずか三年あまりで瓦解し、安倍政権が誕生しました。以降、政権交代の見込みが実質的に消滅し、「二〇一二年体制」として今日まで続いているわけです。  そう考えると、「二〇一二年体制」は事実上の「ポスト五五年体制」と言っていいと思います。日本政治は「五五年体制」に替わる体制を模索してきましたが、その結果生まれたのが「二〇一二年体制」だったということです。
白井聡氏の新刊『長期腐敗体制』(角川新書)

白井聡氏の新刊『長期腐敗体制』(角川新書)

本質は官僚独裁

―― 「二〇一二年体制」の特徴はどこにありますか。 白井 一言で言えば、官僚独裁です。これは一見すると現在の政治状況に反すると思われるかもしれません。一九九〇年代に官僚の不祥事が相次いだこともあり、ポスト五五年体制では政治主導が課題だとされました。民主党政権に期待されていたのも政治主導の実現でした。安倍政権も政治主導を追求し、内閣人事局を用いることで、官僚に対して絶大な影響力を行使しました。これによって政治主導が完成し、官僚機構は弱体化したというのが一般的な見方だと思います。  しかし、現実に政治主導を行うためには、官僚を説得し、協力させるだけの手腕が必要です。安倍氏にそんな力があるはずがありません。安倍政権の政治主導は形式だけであり、実態は官僚におんぶにだっこでした。その象徴が「官邸官僚」と呼ばれる人たちです。安倍政権時代には、経産省出身の今井尚哉氏をはじめ、側近の官僚たちが異常なまでにクローズアップされました。それは実際の権力を握っていたのが彼らだったからです。  しかし問題は、彼らが官僚の中でも特に質の悪い人たちだったことです。「二〇一二年体制」は官僚独裁とはいえ、制度面では政治主導が確立しているので、しかるべき地位につくには政権のご機嫌とりをしなければなりません。その結果、政権にへりくだることがうまいだけで、能力の低い官僚たちがのさばるようになってしまった。その代表例が、佐伯耕三(経産省出身)の囁きによってやることになった世紀の愚策、アベノマスクでした。  また、「二〇一二年体制」は官僚独裁という面は一貫していますが、どの省庁に権力が集中するかは政権によって違いがあります。安倍政権で絶大な権力を握ったのは、何と言っても経産省と警察です。菅政権は脱炭素政策に見られるように、経産省よりも環境省を重視していました。そして、現在の岸田政権では外務省と財務省に力が集中しています。特にウクライナ紛争が起こって以降、外務省の台頭はかなり露骨になっています。岸田首相が「新自由主義を脱却した新しい資本主義」と言っていたのに、「資産所得倍増」などという常軌を逸して愚かなことを言い出したのも、財務省にヘゲモニーが移ったことの結果でしょう。  ここで行われているのは役所の縄張り争いや派閥闘争であって、どこまで行っても国民は蚊帳の外です。要するに、九〇年代に吹き荒れた官僚批判の嵐によって受けたダメージから日本の官僚機構は立ち直り、権力を再確立したのです。新型コロナ対策にしても、厚労省は失策に失策を重ねてきましたが、大した批判を受けていない。その一因にはマスコミが劣化して批判能力が落ちたことがあるでしょうし、政治主導などできるはずのない無能な政治家が選出され続けているためです。  かつて柄谷行人氏がヘーゲルの議論を援用しながら、議会制民主主義とは実質的に、官僚が立案したことを国民が自分で決めたかのように思い込ませるための、手の込んだ手続きにすぎないと言っていました。ヘーゲルの議論は正しかったということです。
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アメリカに利用される歴史修正主義者たち
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