仕事

バブル就活生のハッピーライフは内定後も続いた

“就職氷河期”と呼ばれる昨今。が、バブル時代の就活は、今とは逆に超売り手市場だった。企業側は学生を囲い込むために飲ませ る、食わせる、抱かせるの接待も当たり前だったとか……。そんな今となっては夢のような就活の思い出をバブル入社世代が振り返る! 【内定してから編】 ハッピー就活ライフは内定後も続いた 研修という名目で那須に1泊2日の旅行に連れていかれた (42歳・男・レコード会社)
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 楽勝で内定をもらえたどころか、オイシイ思いまでしてたバブル時代。だが、ハッピー就活ライフは内定後も続いたらしく、「飲み食いと旅行はさせてもらった。『なだ万』とかの高級料理店での食事は当たり前。二次会、三次会でキャバクラも当たり前」(44歳・男・メーカー)なんて話がゴロゴロ。 「逃がしたくない内定者にハンティングワールドのビジネスバッグとかをプレゼントしてた会社も。ゴルフに興味があると言えば、OBから”お下がり”と言いつつピカピカのパターをもらえたり。私はそういう経験がなかったので、友達から聞いて羨ましかった」と話すのは明治大学卒の47歳の男性。  とはいえ、「私は商品券とか図書券とか宿泊券、タクシー券などをもらって、その足で金券ショップに行って換金してた」って、アナタも十分恩恵受けてんじゃん!! ともかく企業は学生の囲い込みに必死だったようだが、なかでも顕著だったのは”内定解禁日”の拘束。当時は就職協定によって会社訪問や内定の解禁日を決めていたが、これは建前。実際はほとんどの企業がその前に内定を出しているため、解禁日に他の企業に接触させないよう内定者を拘束したわけだ。 そのため、「研修という名目で那須に1泊2日の旅行に連れていかれた。昼間はテニスやレクリエーション、夜は宴会。研修などはもちろん一切なし。ただの旅行です」(42歳・男・レコード会社)、「グリーン車に乗り、伊豆半島へ魚介類を食べに行った。料亭風のところで2人に1人くらいの仲居さんがついて海鮮鍋とかを食べた」(40歳・男・通信)など、旅行に連れ出された人が多かった。慶応大卒の43歳の女性によると、「ウチの看板学部である経済学部の友人はディズニーランドやハワイにも連れてってもらったみたい」とか。さらに旅費どころか「ホテルでの飲食と20万円までの買い物費用も会社持ちだった」(43歳・男・メーカー)というから恐れ入る。 イラスト/坂本千明 ― 学生を接待漬けに![バブル就活]バカ回顧録【4】 ―
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