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杉田成道(演出家・映画監督)インタビュー【中編】

いつも「非日常」の脇で生きてきた
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――子供たちという、生まれ育ってゆく命だけでなく、ガンで急死した前の奥様や、変死した従姉妹、 (4)義父の三木のり平さんや、ご自身のお父様、前妻の養母など、去ってゆく命についてもページを割いていますね。 杉田 私自身の人生は、大して面白くもないんだけれども、 (5)周りは死屍累々なんですよ。10代ぐらいから、いろんな人が身近で死んでいった。自殺したやつも何人もいるし。家族と関係のない話は、あまりこの作品には書きませんでしたが、そうやって死んでゆく人間が身近にいっぱいいて、普通の人ではあまり立ち会わないような場面に、ずいぶん立ち会ってきたというのはあります。 ――その体験を小説という形にするのは、非常にタフな作業であるように思われますが……。 杉田 「死との遭遇」って、非日常的でしょう。われわれの仕事はそれ自体が非日常的で、スタッフや役者がほんの一時だけ集まっては、作品作りのために燃焼して、またばらけて、日常に戻ってゆく。つまり、私の生活は、常に非日常の脇に存在しているんです。だからこそ書けることもあるのかもしれませんね。 ――ご家族や親類以外の話では、奥様のガンが再発した (6)地井武男さんのエピソードがありますね。地井さんの苦悩が『北の国から』のストーリーとリンクしてゆく描写は、本作の中でも屈指の場面だと思います。 杉田 俳優さんと、稽古場でそういう(死に関する)会話になることはたいへん多いですね。感情の山場みたいなところで論理的にはなれませんから。どうしても、俺の場合はこうだったから……という話になるんですよ。俺の友達にこういうのがいて、そいつが死ぬときにこうなっていてさ、とか。 ――実体験が作品に昇華していくわけですね。 杉田 われわれの習性というのは、常に自分をもうひとつのカメラで見ているんです。そうやって、自分の体験をドラマにどんどん組み込んでいってしまう。もちろん、人から聞いた話を膨らませることもあります。例えば、倉本(聰)さんも僕もよく知っているディレクターがいて、その人が若いときにある女と同棲していたんですが、あるとき家に帰ったらもぬけの殻で、彼女は部屋を全部キレイに掃除して出ていってしまっていた……ということがあったんです。その彼が玄関でふと見たら、スリッパが逆向きになっていた。きっと出ていく前に、この部屋をジッと見ていたんだろうと思ったら泣けてきたという話があって、それを (7)『北の国から’87 初恋で使おうって(笑)。 ――懐かしいですね。 杉田 (ヒロインの)れいちゃんが夜逃げするんですが、会う約束だった小屋に純が行くと、足跡がついていて、そこにプレゼントが置いてある。純が小屋から出ると、足跡が逆に向いているんです。そこで「彼女は行く前に振り返って、この小屋をジッと見ていたに違いない」というナレーションが流れて、「れいちゃん、なんで行くんだよ」って。 ――あの印象的なシーンは、実話がベースだったんですね。 杉田 そういう話はいっぱいあります。演出家の習性ですね。演出家に限らず、作家も皆同じだと思うんですけど。人間って、完全なフィクションが作れないんですよ。あるものを違う形に転化することはできるけど、コアは”実”のものでないと。”虚”はコアになりにくいんです。 (4)義父の三木のり平 昭和を代表する喜劇役者。森光子主演の舞台『放浪記』などの演出家としても知られる。杉田氏の亡くなった前妻の養父。プロポーズの挨拶に行くも完全に無視され、その後10年間ほとんど口をきいてもらえなかったが、やがて、杉田氏にとって、倉本聰氏と並ぶ「師匠」となる (5)周りは死屍累々 『願わくは、鳩のごとくに』について作家の小川洋子は「この世に生きる者は皆、死者に見守られている。そのことの尊さを伝えてくれる物語」と評している (6)地井武男さんのエピソード 妻のガンが再発するシナリオを、まさにガンの再発で妻を亡くしたばかりの地井武男が演じた。芝居を超えたすさまじい演技に、現場は水を打ったように静まりかえったが、杉田氏は残酷にも「もう、一回」とやり直しを求める (7) 『北の国から ’87初恋 全編に使用された尾崎豊の楽曲も印象的な、シリーズ第3作。「シリーズにおける最高の名場面は?」というアンケートでは、「純が汚れたお札を見ながら富良野を旅立っていく」という本作のラストシーンが1位に選ばれている ― 杉田成道(演出家・映画監督)インタビュー【2】 ―
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