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人生を賭けて「面白い」を追求する人たち【鴻上尚史】

Chim↑Pom,芸術実行犯

『芸術実行犯 (Chim↑Pom著 朝日出版社)』

 たまにインタビューで、「これからどういう活動をするんですか?」と聞かれます。  そのたびに「とにかく、面白い作品を創るだけです」と答えます。答えながら、内心、「この『面白い』がやっかいなんだよなあ」と唸るのです。 『芸術実行犯 (Chim↑Pom著 朝日出版社)』は、じつに面白い本でした。  Chim↑Pom(チン↑ポム)は、岡本太郎氏の壁画に「原発」の絵を付け足した「アーティスト集団」として有名になりました。2011年5月のことです。覚えている読者もいるでしょう。  渋谷の京王線とJR線をつなぐ駅ビルの構内にある巨大な壁画の前を、僕は仕事の関係でよく通ります。 『明日の神話』と題されたこの壁画は、そもそも、左右の下の部分が少し欠けています。完全な長方形ではないのです。その一部、欠けた部分に、Chim↑Pomは岡本画伯とまったく同じタッチで、爆発した原子炉建屋とドス黒い煙を描いた塩ビ板をマスキングテープで貼り付けたのです。  写真でしか、そのプレートを見てはないのですが、基本のダークブルーの色調といい、デッサンの画力と構成といい、全体の質感といい、まるで、岡本画伯が「お、忘れていた」と付け足したとしか思えない素晴らしいできでした。  この時、これは「いたずら」なのか「アート」なのか? という賛否両論が起こりましたが、そもそも、「いたずら」と「アート」を分けることが無意味なのです。  問題なのは、一流か二流か、だけです。これは、「一流のいたずら」であり「一流のアート」です。世の中には、「アート」と言われながら「二流のアート」がたくさんあります。もちろん、「二流のいたずら」もたくさんあります。 ◆激しく心を揺さぶるものの裏にあるもの  このパフォーマンスで一番、悲しかったのは、この事件に対して、大手新聞やマスコミが、「岡本画伯の壁画に、落書き」だの「改ざん」だのという論調で責めたことです。  この行為には、あきらかに、オリジナルに対するレスペクトがあります。オリジナルに対して、一切、手を加えず、損傷もさせないまま、オリジナルの意味を変容させる(もしくは鮮明にする?)という行為には、オリジナルのアートを大切するという決意があります。そして、その決意を保証するのは、高い技術力なのです。だからこそ、これは、一流のアートであり、いたずらなのです。  一流のアートは、人々の心を激しく揺さぶり、社会に波紋を広げます。その時、いたずらという言葉が、じつにチャーミングな意味で再生するのです。  この本は、Chim↑Pomの始まりから、現在までの7年間の活動を記したものです。  彼ら彼女らは「とにかく『面白いこと』をやろう」という「荒地に花を咲かせるようなビジョンと初期衝動だけはありました」「けれど本当に『面白いこと』とは何か。単に『過激なこと』なら僕らより身体的にヤバい人がいるだろうし、単に『笑えること』ならプロのお笑い芸人がいます。最初は、僕ら6人にとっての『面白いこと』を生み出す実験と試行錯誤の連続でした」と書きます。  そして、Chim↑Pomは、「国会議事堂や渋谷109の上空にカラスを大勢集めたり、カンボジアに行って撤去した地雷で高級品などの私物を爆破したり、広島の原爆ドームの上空に飛行機で『ピカッ』の文字を描いたり」しているのです。  それは、「アートは自由なのものだと思います。しかし、これは別にアートが特権的に自由だということではありません。そもそも人間が自由なのです。アートはそれを体現しているに過ぎません」「『作品を発表する』という最初の一歩は、新しい自由をめぐる勝負の出だしです。新たな自由を社会に定着させるには、人生を賭してその自由を謳歌することで影響を与えていくしかありません。だからこそ作家には、継続することや覚悟、そして戦略が必要なのです」という意志のもとでの活動なのです。  Chim↑Pomの活動は、僕たちを激しく揺さぶります。それは単に「笑える」とか「泣ける」「萌える」ではなく、「面白い」を真剣に追求しているからだと思います。 <文/鴻上尚史> ― 週刊SPA!連載「ドン・キホーテのピアス」
芸術実行犯

アートが新しい自由をつくる

不謹慎を笑え (ドンキホーテのピアス15)

週刊SPA!の最長寿連載エッセイ

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