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[田舎へ移住]を成功させる新法則【その7】

若い世代がこぞって移住する”海士町”の秘密とは?(後編) 「平成の大合併、小泉政権の構造改革で、自治体は自立を迫られました。観光を町の自立の軸と定めても、公共事業に依存し続けた結果、主要産業である農業・漁業の担い手がいない状態になっていた。営みがまるで見えない島に観光客が果たして来るのか?と。そこで、’02年から農業・漁業を地域資源とし、振興策を行ったんです」(海士町役場産業創出課・大江和彦氏)  例えば就農・就漁を希望する移住者へは、最初3年間を研修期間とし月15万円の研修費用の支援を行う。岩がき、隠岐牛のブランド化。新冷凍技術(CAS)を導入して町の海産物を新鮮なまま加工し、全国に販売する第三セクター「ふるさと海士」も立ち上げた。これらを牽引したのもIターンやUターン者。東京の大学へ進学してアパレル関係の企業へ就職するも、27歳で帰郷して「ふるさと海士」の設立メンバーとなった岡本清志さんはこう語る。 「Uターンしてのんびりするつもりが、正直、東京時代よりしんどい(笑)。今は通販サイト『島風生活。』の店長ですが、工場に入って作業することもある。大変な事のほうが多いけど、お客様に喜んでもらえると頑張らなきゃって思う」  各事業の販路が広がれば、生産量が上がる。生産量が上がれば、担い手が必要となり、雇用が生まれる。雇用が生まれれば、移住者を受け入れる土壌ができる。  それに加え、積極的に行っている都市部との交流事業を機に海士町を知り、移住する宮崎さんのような人も少なくなく、いくつもの施策が、時間を経て”正のスパイラル”を生み出していったのだ。  一昨年、16年ぶりにUターンした桑本千鶴さんに町の変化を聞くと、「何も変わらない」と言う。が、町で新しく生まれている人とのつながりを実感するそうだ。  各地でイタリアンの修業を重ね、町でオーベルジュを開く目標を持って帰ってきた彼女にとっては、「地産地消がブームで、隠岐牛や岩がきなど、島に特産物が生まれてメジャーになるのは追い風」。  町の振興策が彼女の夢を後押しし、彼女は彼女でケータリングサービスで町に交流の場を提供する。  海士町を発つ直前、見送ってくれた小坂さんは最後にこう語った。 「海士町の人はよく『おかげさま』という言葉を使います。人や地域とのつながりを感じつつ、自分の役割を果たしていける。『おかげさま』が見えるのは、生きている実感というか、手ごたえになるんですよね」 ふるさと海士 岡本清志さん(33歳)
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「戻って改めて思ったのは、少しのおカネがあれば生きていけること。 ルアーひとつあれば、永遠に釣りができるし(笑)。 あえて不満を言えば、洋服を見て選ぶ楽しみがないこと」 料理人 桑本千鶴さん(35歳)
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「高校を卒業後、愛知で短大に進学。その後、 松江、東京、イタリア、東京で修業をしました。 島を出るのが大変だから、出てしまえば イタリアも東京も距離感は変わらないんです」
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