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佐々木俊尚「日本は“空気に流されやすい”国民性だから……」

― 有名人が告白 震災で変わった「私の生き方」 【4】 ― 阪神大震災、オウム事件、9・11――。これらの出来事と今回の東日本大震災の一番の違いは“当事者感覚”の有無だろう。東京から明かりが消え、余震が続いたなか、人々は原発の情報収集に奔走したからだ。そんな状況を経て、各界著名人の価値観はどう変わったのか? ◆ソーシャルメディアは一方的になりがちな空気感を突破すると実感
佐々木俊尚

61年生まれ。毎日新聞社、アスキー編集部などを経てフリージャーナリストに。近著に『キュレーションの時代』(ちくま新書)

佐々木俊尚 ささき・としなお(ジャーナリスト)  私が地震に遭遇したのは取材先のビルの地下駐車場でした。そして車で帰宅中に被害の大きさに気づきました。道路は大渋滞。道の両側で帰宅する人々が列をなす姿は、映画『宇宙戦争』のような終末的光景でしたね。  帰宅して妻がヘルメットをかぶっていたのには面食らいましたが、幸いにも我が家の被害は本が数冊落ちた程度。テレビ画面を通して災害状況を観たのですが、凄惨な状況はわかっても、どこか他人事でした。どんな現実も画面を通すと当事者感がなくなる。これは”存在自体が演出”というテレビメディアの特徴ではありますが、我々は常に、そうやって災害を受け止めてきたのです。  しかし、福島第一原発で水素爆発が起き東京が放射性物質に汚染される可能性が出てきた頃から、初めて当事者感覚を味わうことになります。国内外の情報を冷静に分析していたので慌てることはありませんでしたが、東京が被災地感覚を共有したことにより、それまで冷静だった人が急に政府批判や陰謀論を唱えるなど、人間が追い込まれる様を目の当たりにし、これには恐怖を覚えました。  日本人は「絶対」を欲する傾向があり、多くの事象で“リスク・ゼロ”なんてことはあり得ないのに「100%安全ではない」という政府・東電の発表を「じゃあ危険じゃないか!」という言葉に置き換えパニックを引き起こすわけです。「情報はお上まかせ。ダマされた俺たちは被害者だ」という“ピュアな庶民意識”が顕著に表れた例として、斉藤和義の替え歌「ずっとウソだったんだぜ」がツイッター上で急速に広まった事実があります。“空気に流されやすい”国民性を、今回はっきりと感じました。  その一方で私は、ソーシャルメディアがそうした“一方的な空気感““集団的無意識“を突破する力があると感じています。  基本的には「情報を集めて分析、そして伝える」というスタンスに終始していますが、時には過剰な自粛ムードへの反論として「不謹慎ディナー」と称してツイッター上で外食することを公言するなど、個々の声にどう対処するかを考え、実行するようになったのが、個人的には大きな変化でしょうか。  今回の震災後、ネット上には政治の変化を求める空気がそこかしこに存在するようになりました。  近代日本で大きな意識改革がなされたのは明治維新と太平洋戦争後であり、共に古い世代が強制的に退場させられています。  震災後の新旧交代の一局面として、既存メディア(情報を一方的に受ける)からソーシャルメディア(個々が情報収集に積極的になる)への移行が加速すれば、情報格差による社会の混乱は避けられるのではと感じています。
キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる

情報の常識はすべて変わった!

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