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【異例】DeNA育成戦力外投手がメジャーに挑戦!

小林公太,横浜DeNAベイスターズ

本誌記者が名刺を差し出すと「グラビアン魂見てます!」と若者らしい一面も。ちなみに小泉麻耶のファンだそう

「お世話になった(2軍ピッチングコーチの)木塚さんに挨拶に行ったら、必要となる選手になって帰ってこいよ! と送りだしていただいたのですが、本心では『絶対、帰ってくるもんか!』と思いました」  湘南シーレックス、横浜、DeNA。  3年間のプロ野球生活で3つの異なるユニフォームに袖を通した背番号「115」の小林公太投手は、10月、横浜DeNAベイスターズを解雇された。  高校卒業時から「すぐにでもアメリカに行きたかった」という想いを抱いていた小林は、育成選手として3年間を過ごした横浜DeNAのファームチームでは、大きな故障がなかったにも関わらず、登板機会に恵まれずに解雇された。 「自分の中では、高校を卒業して、こっち(日本)で成功して、それからアメリカに行くって夢を描いていたのですが、思ったよりも早く向こうに行くことになりました(笑)」  育成枠選手の解雇、そして再契約の会見に、これだけ多くのメディアが集まったことが過去にあっただろうか? 小林に新しいチャンスを与えた球団は、メジャーリーグの伝統球団、クリーブランド・インディアンズだった。  10月の仙台で行われたプロ野球トライアウト。そこで初めて小林の投球を観たデフリータス担当スカウトは、日本では実績皆無の小林投手について「腕の角度が(サンフランシスコ・ジャイアンツで抑えとして活躍中の)ロモに似ている」と評した。  とはいえマイナーリーグからメジャーの夢舞台へは、遥か彼方の道のりだ。これまでも多くの若き侍たちが大志を抱いて挑戦したものの、その大半は、解雇された事実すらニュースにならない。言葉の壁、タフな移動、文化の相違。心配事を挙げればきりがないが、小林は「ハンバーガーとピザが大好きなので、マイナーでの食生活も平気。英語はボディランゲージと下ネタで乗り切ります(笑)」と、大きな声で吹き飛ばした。  年明けの1月にはプエルトリコのウィンターリーグに参加し、ビザが下りれば3月からのマイナーリーグキャンプで挑戦がスタートする。ウィンターリーグを含めると、プロ4年目の来季は4つ目、いや5つ目のユニフォームでプレーすることとなる。 「明日、クビになるかもしれない」と言った小林。日本よりもはるかに環境の厳しきアメリカ球界に飛び込む彼の生き方は、多様化する社会と同調するように、自身のセカンドキャリアを多様(ダイバーシティ)にプロデュースできる、新たなアスリート像と言えるかもしれない。  酷な言い方だが、小林がメジャーに辿りつく可能性は限りなくゼロに等しいだろう。しかし小林公太がこれから歩む、いばらの道は、未来のアスリートたちに、セカンドキャリアの選択が、たったひとつやふたつではないことを明示する、大きな資産となるだろう。 【小林公太投手プロフィール】 ’91年9月1日、東京都生まれ(21歳)。183cm、80kg、右投げ右打ち。’09年、多摩大聖ケ丘高校から横浜ベイスターズへ育成ドラフト2位で入団。変則サイドスローからの140km後半のストレートとスライダーが武器も、制球難を克服できず、3年間のキャリアで1軍登板はなし。2軍での通算成績は14試合登板1勝0敗 <取材・文・撮影/NANO編集部&遠藤修哉(本誌)
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