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『まどか☆マギカ』はおじさんが見ても意味のある作品―宮台真司 

アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』にどっぷりハマった論者たちが作品の魅力や秘密を語り尽くす! 宮台真司(社会学者) ◆「まどか☆マギカ」とは「セカイ系」を超越する絆の物語である

少女たちと向き合い続ける宮台氏。「援交って一般の人にとっては魔女でしょ。でも、そういうコたちをこれからも擁護していたいですね」

1979年に『機動戦士ガンダム』、1995年に『新世紀エヴァンゲリオン』(以下『エヴァ』)とエポックメイキングな作品は15年周期で生まれていて『まどか』もやはり、その流れで出てきたと思います。ちょうど『エヴァ』は’95年の阪神淡路大震災とオウム事件という世紀末感を掬い上げていました。それ以降、「世界」の謎が自分の問題と直結する「セカイ系」と呼ばれる作品が多く生まれました。『まどか』はセカイ系が陥っていた自意識のどん詰まり感を超えていく物語だと考えています。  セカイ系では主人公が周囲から承認されればすべてOKですが、まどかは逆で、周りからは「あなたが承認されるのはこの『社会』しかないから出ていかないで」と言われるんだけど「私は出ていくよ」という決断をする。その展開をリアルにしているのは、まどかと周囲の絆なんですね。毎日の積み重ねで生まれてゆく絆、まどかはそれに気づいてなかったんだけど、最終的にその因果に気づいて自分の役割を引き受ける。だから魔法少女と言っても変身じゃなくて翻身。二度と戻れない翻身のヒロインなんです。  これは先の震災ともシンクロするんですが、危機的な状況下では、ありとあらゆる局面で絆が試されますよね。何が最後まで頼れるよすがになるのか。普段はただの戯れじゃないのかという疑念を抱えながらも、我々は絆なしには生きられない。そんな2011年の気分が写し取られている気がします。  震災後の日本で『けいおん!!』のようなお気楽な日常ドラマは難しいし、すでに一部の男性しか享受できなくなりつつあった“クソみたい”なゼロ年代的深夜アニメに対するアンチテーゼとしての『まどか』だったのかもしれない。  もうひとつ重要なのは、「願い」という要素です。よかれと思ってしたことが大変なことに繋がってしまうというのは、我々がまさに震災で経験したことです。これはディスコミュニケーションにも起因します。第3話に出てくる「携帯の番号、聞いてなかった」というまどかのセリフもそういうことへのメタファーとも読み取れる。願い事というのは裏を返せば怨念や恨みを残すことにもなる。もともとこれはギリシャ悲劇の基本原則に沿ったものなんですが『まどか』の劇中の出来事もすべて人の振る舞いの延長線上に因果が成り立っていて、「社会」のなかに「世界」がある。対照的に『エヴァ』だと使徒という不条理が「社会」の外である「世界」からやってくる。これはロマン派的な考え方なんですが、どうしてもドラマが他力本願になりがちなんですね。そんなセカイ系が持つ課題を『まどか』は絆により乗り越えた。  平凡な少女が自分を支えていた関係性に気づき、翻身をして、義務を果たす。物語の構造として感動的ですよね。最後のほうは涙なしではいられなかったです。何度見てもいい。普通の女のコが見ても、僕みたいなおじさんが見ても、明らかに意味のある作品ですから。 宮台真司【宮台真司】 社会学者・首都大学東京都市教養学部教授。東京都立大学助教授、首都大学東京准教授を経て現職。専門は社会システム論。近著にビデオジャーナリスト・神保哲生氏らとの共著『地震と原発 今からの危機』(小社)など (C)Magica Quartet/Aniplex・Madoka Partners・MBS
地震と原発 今からの危機(小社)

「ビデオニュース・ドットコム」の震災関連番組に大幅な加筆を加えて緊急出版

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