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「高校野球はビンタが日常」元生徒が語る体罰の思い出

学校教育の根幹を規定する学校教育法では、終戦後まもない’47年4月施行の段階ですでに体罰を禁止している。しかし、この規定とは裏腹に、’90年代までの学び舎では、教師の鉄拳制裁が当たり前のようにまかり通っていたことを、30代以上の読者は皆覚えているだろう。今回はそんな体罰世代であるオーバー30の方に集まっていただき、体罰の思い出について語ってもらった。 ◆僕たち殴られて大人になりました!青春の体罰回顧録 <座談会・前編> ――江藤さんは、体育会ですからしんどい目に遭ったのでは。 最凶教師江藤:野球部は殴られポイントが多いんですよね。攻撃中、バッターが監督のサインを見逃すと、試合中にタイムがかかって、ベンチに呼びつけられて、ヘルメットで殴られる。守備中は、点を取られるとエースと正捕手がベンチに呼ばれて鉄拳制裁です。 ――試合に負けようものなら、全員並べてビンタですか。 江藤:いや、それが、試合の勝ち負けはキャプテンの責任なんですよ。チームのメンバー全員が殴られるわけじゃなくて、キャプテンの俺1人が殴られる。桜宮高校バスケ部のキャプテンが、顧問の体罰に耐えかねて自殺しちゃったでしょ。あのニュースを聞いたとき、俺は他人事じゃなかったですね。 ――野田さんの高校も、何度か甲子園に出てますよね。 野田:私の母校は、私が1年生のときにまぐれで野球部が甲子園に出てしまって、そこから、学校の空気が「甲子園が至上命題」みたいに変わってしまって嫌でした。その頃から野球部の男子が顔面にアオタン作るようになってドン引きでした。 江藤:そういう話は高校野球によくありますよ。これまた他人事とは思えないなぁ~。 ⇒【後編】ヤンキー生徒を半殺し寸前に!体罰の思い出を語る
https://nikkan-spa.jp/397502
【上村博士氏】 ’83年生まれ。九州地方出身。中学時代にドロップアウト。卒業後上京してパチプロ生活。その後パチンコ雑誌編集者として堅気の道へ 【江藤淳也氏】 ’74年生まれ。東海地方の高校で硬式野球部のキャプテンを務め、大学でも野球部。現在は電機メーカーに勤務する 【野田ちさとさん】 ’78年生まれ。中国地方の野球強豪校を卒業後、関西地方に進学。その後、雑誌編集者などを経て現在は飲食チェーンに勤務 イラスト/石井匡人 ― 本当にいた[最凶教師]列伝【9】 ―
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