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日本家電業界の歪みの象徴「ソニーのリストラ部屋」とは? 【清武英利渾身リポート】

近年、心臓部ともいえるエンジニアのリストラが相次いでいるというソニー。しかし、ソニーを退いた面々は枯れかかった本体をよそに、そのDNAをタンポポの種子のように飛ばし、根を張り、新たな生命を育んでいる。その逞しさの秘訣は何か。清武英利が追った ◆清武英利記者(巨人元代表)渾身リポート
御殿山テクノロジーセンター NSビル

品川の旧本社ビル。「御殿山テクノロジーセンター NSビル」の最上階。かつての役員室は現在、“リストラ部屋”に姿を変えている

「ソニー通り」と呼ばれた道が、東京の品川区にある。  通りの起点と終点に対照的な生き方がある。「喜怒哀楽」の4文字で表すと、起点の周辺は「怒」と「哀」の人たちが多く、終点界隈に住む人々の表情は、「喜」と「楽」の色が濃いように見える。  通りは北品川の御殿山から、JR五反田駅東口へと延びている。その起点は、8階建てのソニー旧本社ビルあたりだ。井深大氏と盛田昭夫氏が設立した「東京通信工業」は、ここから世界企業「SONY」へと駆け上がった。  今、この旧本社ビルは、ニッポン家電業界のきしみの象徴である。ビルは「御殿山テクノロジーセンター NSビル」と改称され、キャリアデザイン推進部の東京キャリアデザイン室が置かれている。  通称「キャリア部屋」。「社員がスキルアップや求職活動のために通う」と説明されているが、社員たちは「リストラ部屋」と呼び、新聞は、退職勧奨を受けた中高年社員の「追い出し部屋」と書く。  キャリア部屋は3月に総勢250人に上った。厚木と仙台にも設けられ、ソニー通りには150人が通っている。彼らには仕事が与えられない。在籍すればするほど給与は減っていく。  創業者の盛田氏は印象的な言葉を残した。欧米の経営者にはこんな講演もしている。 「あなた方は、不景気になるとすぐレイオフをする。しかし景気がいいときは、あなた方の判断で、工場や生産を拡大しようと思って人を雇うんでしょう。つまり、儲けようと思って人を雇う。それなのに、景気が悪くなると、お前はクビだという。いったい、経営者にそんな権利があるのだろうか。だいたい不景気は労働者が持ってきたものではない。なんで労働者だけが、不景気の被害を受けなければならんのだ。むしろ、経営者がその責任を負うべきであって、労働者をクビにして損害を回避しようとするのは勝手すぎるように思える」 ◆’12年も1万人規模。日常化したリストラ  ところが、リストラは現在のソニーでは日常風景と化している。出井伸之社長時代の’97年から早期退職プログラムを実施し、’03年に2万人、’05年1万人、リーマンショック後の’08年には1万6000人を削減した。’12年も1万人規模のリストラを発表し、管理職の3割削減を打ち出した。多額の退職金を手にした旧経営陣は痛みを感じないのだろうか。 「次の技術を開発する社員がいなくなることに問題はないのですか?」  リストラをスタートさせた出井氏は最近、NHKから質問を受けて答えた。 「(問題は)あります。社員を辞めさせるためには、余計にカネを払うことになりますよね。そうすると、自信のある人から辞めるでしょうね。それはしょうがないです」  シニカルな語り口は社員やOBに不興であった。会社をダメにしたのは誰なのか。リストラ部屋に残っている人にも、意地と事情がある。自分に自信がないから踏みとどまっているわけではないのだ。 ⇒【次回】『ソニーを離れたエンジニアが咲かせる「花」』に続く
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清武英利【清武英利氏】 ’50年、宮崎県生まれ。立命館大学卒業後、読売新聞社に入社。社会部記者、東京本社編集委員等を経て’04年、読売巨人軍球団代表。’11年11月球団代表を解かれた ― [ソニー離脱エンジニアたち]の逆襲【1】 ―
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