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お国の決断の遅さが被災地復興を阻んでいる

― 被災地「地元紙」が見た復興を阻む意外な大問題【8】 ― “あの日”から半年以上が経つ。被災地の「地元紙」は、3・11以前から、街に寄りそい、そして以降も地域の避難情報、救援情報を発信し続けている。被災者でありつつも記者という立場の彼らだからこそ見える課題がある。大マスコミからは注目されない現場事情を追った 【大船渡】 仮設住宅への移転が100%となり、浮上する新たな課題 大船渡死者339人、行方不明者112人。一部損壊を含めれば5000戸強の建物被害を被った岩手県大船渡市。しかし、「陸前高田市に比べれば大船渡市は被害が比較的軽いほうですし、復旧は……復興ではなく復旧ですが、早いほうだとは思います」と、『東海新報』編集局長の佐々木克孝氏は語る。 セメント城下町である大船渡において、復旧の原動力として大きかったのは、市の経済を支えてきた太平洋セメント大船渡工場が操業継続を決めたことにある。 「しかも、セメント製造の再開よりもガレキ処理を優先的に行うとしたんです。処理するガレキは海水に浸かり、塩分を含んでいますから、焼却炉の傷みは激しくなります。しかしそれも踏まえて、企業支援として乗り出してくれた。ガレキ処理で街がきれいになっていく。工場が稼働すれば、トラックが動く。工場設備のメンテナンスも必要となる。さらに、全国から工場に事業関係者が来れば宿泊施設の需要が出て、ホテルは再開を急ぐ。ホテルが再開すれば、そこに雇用が生まれる。街の経済が動くんです」
太平洋セメント大船渡工場

自らも津波被害を受けた太平洋セメント大船渡工場。ガレキ処理を行い、11月からセメント製造も再開するという。「この煙突から上る煙は市の元気の象徴なんです」(佐々木氏)

 また、大船渡市では、各町内単位で連日、地区懇談会を実施。住民と行政の意見交換がなされ、例えば、今回の津波の被害を免れた国道45号線よりさらに内陸に生活道路を整備するなど、具体的な街づくりの青写真ができつつある。が、そのプランが実現できるかどうかは第3次補正予算待ち。 「ただ、それも待ってはいられないと、中小企業基盤整備機構の補助を受けて、もともとあった浸水地での再開を進める事業者もいくつか出てきています。その土地から優先的にガレキを処理して、更地にして、杭打ちを始めるという状況で、新しい商店街づくりの兆しとなっています。しかし、住まいは別です。一番の課題である補償問題を含めた高台への住居移転は、大きな方針が決まらない限り手は出せませんから」  そう。復興を阻む一端が、お国だという状況は大船渡も同じなのだ。 <東海新報> 「国民の関心が他に移っていく現状を被災地は肌で感じ取っている」(9月11日付) 創刊年:1958年/配布エリア:大船渡市、陸前高田市、住田町 部数:震災前1万7500部 震災後に8000部まで落とすも、現在1万3500部 1960年のチリ地震津波の際、社屋が被災し、1週間、新聞発行が止まるという苦い経験から、1986年に社屋を高台に移転。そのため会社自体は大きな被害は免れた。2年前に導入した自家発電装置で、震災当日は、全社員の半分20人で手分けをして、カラーコピーの号外を制作。2000枚を避難所へ運んだ。被災直後は避難者、身元不明遺体情報、支援物資の情報を提供。先日、行方不明となっていた社員1人の身元が確認されたという
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