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天才バッター・坪井智哉、40歳での宿なし生活を語る

坪井智哉氏

坪井智哉氏

 終戦記念日の8月15日。一人の男が静かにバットを置いた。坪井智哉(ともちか)・40 歳。PL学園高、青山学院大、東芝とエリート街道で活躍し、プロ入り後は阪神、日ハム、オリックス、米独立リーグで3シーズン5球団を渡り歩いた。  日本球界から何度もクビを宣告されながら、アメリカで野球にしがみつき、マイナーリーグの底辺の1Aよりも過酷といわれる独立リーグで3年間プレーを続けてきた坪井は、かつてはイチローと共に「日本を代表する天才打者」と呼ばれた存在だった。武士のように無表情でひたすら練習を積み重ねた阪神時代の坪井から、20歳そこそこのアメリカの若者と一緒にプレーする姿は想像できない。 「一昨年、昨年と2年間プレーしたリーグでは、正直、野球の面で得られたことは何ひとつありませんでした。道具を粗末にするわ、メジャーに行きたい、日本に行きたいと言ってるヤツのほとんどは、練習もしない口先だけの連中で」  契約面でもぞんざいな扱いを受けた坪井。今年は球団がホテルを借りてくれる契約だったが、最後は自腹でホテル費用を負担するように。見かねたチームメイトが家に招いてくれたが、そこで飼われていた犬と「寝床のソファを奪い合うことになるとは夢にも思いませんでした(笑)」という生活だったという。 「外野の守備や、ネクストバッターズサークルにいると、ふとかつて味わったことのない不安が頭をよぎったんです。“今日の俺の寝床はどこだろう?”って。40歳にもなってその日の寝場所を心配するような人生を送るとは、想像できなかった」  だが、現役引退を決めた坪井の野球に対する情熱は今も変わっていない。コーチングに興味があると話していた彼のもとには、早くも在阪局から野球中継の解説の話が舞い込んでいる。現役時代のあの打撃フォーム同様、唯一無二の坪井智哉の第二章は、これから始まる。 ※9/9発売の週刊SPA!では、坪井選手が余すところなく、米球界での出来事、そしてイチロー、新庄との交友を語っている。ぜひ、本誌で詳細をチェックしていただきたい。 本誌構成/小島克典(スポカルラボ)撮影/渡辺秀之 本稿再構成/SPA!編集部
週刊SPA!9/16・23合併号(9/9発売)

表紙の人/TOKIO

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