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くも膜下出血から復帰したコラムニスト・神足裕司――“書くこと”への思い

神足裕司 コラムニストの神足裕司氏がくも膜下出血に倒れたのは、2011年9月のことだった。奇跡的に一命をとりとめ、2度のリハビリ病院の転院を経て、2012年9月に退院。昨年末には『一度死んでみましたが』(集英社)を上梓し、「もの書き」としての復帰を果たした。  そして、このたび、息子・祐太郎さんとの共著『父と息子の大闘病日記』(扶桑社)、妻・明子さんとの共著『生きていく食事 神足裕司は甘いで目覚めた』(主婦の友社)を連続刊行する。  書くことへの思いを今、改めて寄せてくれた。 ――――――――――――  母の話によると、ボクは3歳の頃には童話の厚い本を読んでいたという。  たしか、息子もそうだった。幼稚園に上がる前からクルマに乗ると看板の文字に興味をもって、「あれはなんて読むの?」そう次々に聞かれて、ひらがなはもちろん、漢字もずいぶん読めるようになっていた。  ボクら夫婦は毎晩、絵本を読んであげていたから、丸暗記なのか、読めていたのかよくわからないが、一冊すらすらと音読して、ボクらを驚かせた。
神足裕司

原稿用紙に力強い筆致で言葉がつむがれていく

 ボクは看板で文字を覚えたかどうかはわからないが、母さんが仕事をしていたミシンの足コギのところに入りこんでは、本を読んでいた。  絵本ばかりではない。よく覚えているのは、フランス語の『VOGUE』などの色とりどりの雑誌たち。その鮮やかさに目を奪われた。子供心にも広島にはない美しさを感じていた。  近くに古本屋があったので、そこがボクの本棚だった。のらくろも読んだし、夏目漱石も読んだ。  小学校くらいになると、作文が上手だとみんなに褒められた。おだてられると木に登るタイプの人間だから、文章を書くのがおもしろくて仕方がなかった。  中学ではへんてこな文章を書いて、みんなに回し読みされて笑われた。  大学でもミニコミ誌を書いた。  まさか、それが自分の職業になるなんて思ってもみなかったが、ボクは自分の仕事が好きだ。書けない悩みも、やりたくない仕事も、書きたくない内容もあったけれど、今でもボクは仕事が好きだ。  こんなことを率直に書けるようになるくらい、ボクにとって、書くことは生きることになった ――――――――――――  息子・祐太郎さんの原稿に神足氏が応えるかたちで、家族とともに歩んだ闘病の日々をつづった『父と息子の大闘病日記』は、「書くことは生きること」という神足氏の、文字どおり生の記録だ。  その刊行を記念して、10月4日(土)、東京・三省堂神保町本店にて、サイン会を開催。当日は、豪華ゲストも登場予定だとか。蝶ネクタイに黒ぶちメガネの神足氏に久しぶりに会いに行こう! <構成/鈴木靖子>
父と息子の大闘病日記

新しい日常を築いていく過程を父と息子がそれぞれの立場からつづる

生きていく食事 神足裕司は甘いで目覚めた

夫婦初共著“介護と食を巡るコラム”

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