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キックボクサー・いつか「元レースクィーンの肩書きよりも、お寺で働いた経験がブレないメンタルに」

~もぎたて!女子アスリート最前線 第3回~  新宿御苑の至近にある新宿レフティージム。「シュッ」「シュッ」という短い呼気と共に、風切り音をあげてジャブ、キックを連発する女子選手の姿。黒を基調にデコレーションされたコスチュームと、打撃を放つたびに揺れる金色の髪は、虎視眈々と獲物を狙う女豹といった装い。WPMF世界女子フライ級チャンピオンのいつか(30)選手だ。
キックボクサー・いつか

いつか ‘84年、宮城県生まれ

――格闘技を始めた頃のお話を聞かせてください。 いつか:高校時代、モデル関係のお仕事をしていたこともあって、高校卒業後は芸能学校に進学するため上京しました。芸能学校を卒業後、レースクィーンの事務所に所属。1年目は横浜タイヤRSオガワ、2年目はゼナドリンクハーツレーシング。2年目の途中から、格闘技をしていた知人の薦めで総合格闘技を始めたんです。SMACKGIRLで5戦しましたが一度も勝てず、打撃重視の練習に切り替えようと、現在の新宿レフティージムに移籍しました。でも、移籍後に体を壊し、仙台に帰郷することになったんです。 ――それが約10年前。当然、復帰を考えていた? キックボクサー・いつかいつか:はい。やっぱり格闘技が好きでしたし、1勝もできずに辞めるのは悔しいですから。仙台にいた頃は、輪王寺というお寺で朝9時から夜の5時まで働いていたんですが、そこで働くことが精神的な修行になったと思っています。仕事内容は掃除、戒名の写し、電話番。このお寺は環境問題にも力を入れていたので、植樹、育樹もしていました。人の生き死にを目の当たりにすることで、色々と考えさせられましたね。東京に戻るのは2年後で、格闘技に専念したい気持ちもあったんですが、妹の学費を稼ぎたいので、芸能仕事中心の生活でした。ただ、以前だったら“現役レースクィーン格闘家”ってキャッチコピーで、そのまま大きい会場のリングに立ってたところでしたが、お寺での経験もあり、「もう一度ゼロからスタートしたい」とJ-GROWというアマチュア大会に出場することにしました。 ――アマチュア大会で経験を積んだことが、プロでの初勝利に繫がったんですね。 キックボクサー・いつかいつか:ただやっぱり、大きな試合ではいつものスタイルや練習じゃ通用しなくて。そういう意味でも、私の中での分岐点は、2012年M-1での阿部基江戦(タイトルマッチ。左ひじを粉砕骨折し、タオル投入で負け)。タイトルマッチは普段の試合とは意味合いが違うし練習の取り組み方や全てが違うので、死ぬ気でやってきたのに負けてしまったので、かなり落ち込みました。身体的にも骨折してボロボロだし、ベルトを獲れなかったことで精神的にもボロボロになりました。怪我が治りかけたころ、ジムの選手が六山トレーナーを紹介してくれて練習に参加しました。そのころから練習量もかわり、肉体的にも精神的にも強くなっていきましたね。結果がすぐついてきたわけではなく負けたりもしたけど、自分が今まで感じたことのないような感覚が湧いてきました。 ――そして、昨年9月にディファ有明で行われた、ペッベンチャー・モークルンテープトンブリー(タイ)戦で勝利して、日本人初のWPMF世界フライ級王座に輝きました。 ⇒【写真】はコチラ https://nikkan-spa.jp/?attachment_id=875096(タイトル戦の試合写真) いつか:ジムの女子プロ選手は私だけですから、スパーリングはいつも男子が相手。ハードで泣きながら練習してましたけど、そうした環境が自信と、強いフィジカルに繫がったと思ってます。ヒジ打ちのあるタイの選手と試合するのは初めてでしたが、気持ちで負けることはありませんでした。今後の目標ですか? 名前は“いつか”ですが、将来のことはあまり考えないタイプで……(笑)。本場タイの王妃誕生祭で防衛戦がしたいです。 <取材・撮影/丸山剛史> ●「東京ガールズキックボクシング部」 いつか選手が所属する新宿レフティージムでは、女性のためのキックボクシングジムを開催。女性専用パウダールーム&シャワールームも完備。ダイエットプログラムも充実している。詳細はコチラまで⇒http://www.tokyogirlskick.com ■もぎたて!女子アスリート最前線 女性競技者たちのまっすぐな眼差しとひたむきな姿勢は、メイク、衣装のいらない素材美そのもの。てっぺんを目指して邁進する明日のスターの、飾らない美しさをお届けする。
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