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「世界一周花嫁探し? 調子に乗るなよ。奥さんの気持ちも考えろ」――46歳のバツイチおじさんは故郷で親友に説教された 〈第5話〉

突然、嫁さんにフラれて独身になったTVディレクター。御年、46歳。英語もロクにしゃべれない彼が選んだ道は、新たな花嫁を探す世界一周旅行だった――。当サイトにて、2015年から約4年にわたり人気連載として大いに注目を集めた「英語力ゼロのバツいちおじさんが挑む世界一周花嫁探しの旅」がこの度、単行本化される。本連載では描き切れなかった結末まで、余すことなく一冊にまとめたという。その偉業を祝し、連載第1回目からの全文再配信を決定。第1回からプレイバックする!  *  *  *  英語も喋れないのにたった一人で世界一周の旅に出ることになった「46歳のバツイチおじさん」によるズンドコ旅行記『日本想い出迷子編』もそろそろ佳境。前回、記念すべき旅行初日なのにフェリーに乗り遅れ、46歳なのに「出発に失敗する」という大失態を犯したバツイチおじさんが、今回ついに……本当に出発します! 英語力ゼロの46歳バツイチおじさんが挑む「世界一周 花嫁探しの旅」【第5話 原チャリで故郷を目指し、ついに世界へ出る】 46歳で嫁に捨てられ、世界一周花嫁探しをすると言いながら初日から旅立ちでつまづいた俺。原チャリでフェリー乗り場まで向かったが無情にも3分遅れで出航に間に合わず、自分の乗るべきフェリーに見送り手を振ったのだった。 船の汽笛が鳴り終わった後、見送りに来た友達の顔を見た。 皆あきれてる。 顔を見合わせニヤニヤしている。 恥ずかしい。 物凄く、恥ずかしい。 「後藤、飲みに行くぞ!」 突然、友人の一人がそう言った。 実は10月9日の出発にこだわったのには理由がある。7年前、明治大学時代の親友があの世に旅立った命日なのだ。 俺は原チャリを港に置き、銀座にあるその親友のお母さんの店に行き、酒を飲んだ。 あの世に早く逝った親友を弔いながら、 フェリーに遅れた自分をいじられながら。 自分でも良くわからないが、ここ10年くらいの間で経験したことがないくらい深く酔いつぶれた。 最強のボディを手に入れたはずなのに、アルコールの前で俺は無力だった。 いや、恥ずかしくて酔わずにはいられなかったのかもしれない。 その夜は、借りていたマンションの管理人にお願いしてあと一泊させてもらった。 翌日、ひどい二日酔いだが今度は余裕を持ってフェリー乗り場に行った。 レインボーブリッジを通過できないことも忘れなかった。 そして、フェリー乗り場に到着。 見送りは2人に減っていた。 そりゃそうか。ちなみにこの2人は二日連続で同じフェリーを見送ることになった。 またLineで俺がほんとにフェリーに乗れたか生中継してくれている。 ほんとにありがたい話だ。
英語力ゼロの46歳バツイチおじさんが挑む「世界一周 花嫁探しの旅」

2日連続で見送りに来てくれた2人。申し訳ない気持ちでいっぱいになりつつ、フェリーから手を振った

みな、不良中年の悪友たちだが絆は深い。大分から上京して26年が過ぎた。 こういうとき、本当に良い友達がいることに気づかされる。 俺は念願のフェリーに乗り、見送りに来てくれた悪友二人に大きく手を振った。 1日ロスったが、ついに「世界一周花嫁探しの旅」がここから始まるのだ。 船に乗り込み、北九州の門司港を目指す。今宵は二段ベッドの下が俺の宿だ。 Kindleで沢木耕太郎の「深夜特急」を読みながら「深夜フェリー」の旅が始まった。 飛行機ではなく船で2日かけて北九州まで行く人たちは、おそらくだが長距離ドライバーなどが多いのだろう。ほとんどがガタイのいい男たちだ。二段ベッド上の人は2日間部屋から一切出てこなかった。 船内にレストランはなく、カップラーメンか冷凍食品をレンジで温めて食べる自動販売機だけ。 記念すべき初めての晩御飯はカップヌードルとなった。 その後、二段ベッドの下でウイスキーをチビチビやりながらデジタルガジェットのチェックをし、Googleマイマップの使い方など、旅の準備で間に合わなかったデジタル情報を吸収した。 英語力ゼロの46歳バツイチおじさんが挑む「世界一周 花嫁探しの旅」ウイスキーでほろ酔いになった頃、なぜか目の前がくらくらしてきた。 そんなに飲んでないはずなのに。 さらに、平衡感覚がなくなりふらふらになってきた。 なぜだ? 昨日の酔い方といい、俺は酒に弱くなったのか? これは老いなのか? シンプルに船酔いだった。 その日、海が荒れ、船が揺れた。 船に大浴場があるのだが、波のようにお湯が左右に揺れる。 途中から風呂に入ることが禁止になった。 俺はさらに気分が悪くなり、布団に潜った。旅の準備の疲れのせいかそのまま泥のように眠った。 15時間ぐらい眠り、一時間ぐらい起き、何も食べずまた眠った。 結局、船の中ではカップヌードルしか食べなかった。 北九州に着き、原チャリで中学・高校と同じバスケ部だった親友の中道の家に向かった。 高校時代、俺が背は低いのに強引に中でシュートを打つプレイヤーだったのに対し、中道は背が高いので決して無理せずスリーポイントシュートを決めるプレイヤーだった。あだ名もスラムダンクの三井と同じ、みっちゃん。最後の大会でベスト8から決勝リーグに入るのに連続4本のスリーポイントシュートを決め、逆転させた殊勲者だ。 性格は真逆。一対一ではお互いの気持ちがわかりすぎるため、決して勝負がつかない。俺にとって、この男の一言は重い。 中道は白い二階建ての一軒家を建てていた。かわいい子供二人と綺麗な奥さんが出迎えてくれた。 その後、『アメトーーク!』の博多屋台大好き芸人の話で盛り上がり、中洲の屋台に行くことになった。そこにバスケ部の女子マネージャー京子ちゃんや後輩も合流し、久しぶりの同窓会に。そして、俺は離婚について切り出した。 俺 「ごめんな!結婚式まで来てもらったのに、離婚してしまって……」 中道「……」 京子「りゅうーちゃん、頑張った。ずるずるいく人もおる中、よく決断した。勇気ある決断よ」 さすが、元マネージャー。高校時代も膝の靭帯を切った時、こうやって励ましてくれた。でも京子ちゃん、決断したんじゃなくて、されたんだよ。 その後、昔話に花が咲いたが、離婚に関して中道は沈黙を貫いた。そして、2次会の途中、中道が静かに離婚の話を喋り始めた。 中道「隆一郎、よく聞け!お前、家庭っちゅもんがよくわかっちょらんみたいやな。お前には家庭の匂いがせんのよ」 驚いた。 それは、元嫁が離婚の話を切り出したときの最初の一言と同じだったからだ。 中道「あ? 世界一周花嫁探し? 調子乗るなよ。そんなブログを見た奥さんの気持ちも考えろ」 この男に嘘は通用しない。スリーポイントシュートのような的確な言葉。 俺 「わかっちょん。わかっちょんっちゃ!」 中道「わかっちょらんなー」 その後、家族の幸せのためなら自分のすべてを投げ打ってでも守ることの大切さをこんこんと説教された。深く酔っ払った中道はベロベロになり、こう言った。 中道「隆一郎、俺はな、もっと早く子供を作れば良かったと思っちょんのよ。それだけ家族4人が一生で過ごす時間が長くなるやろ。それが残念なんよ」 この言葉は読めなかった。 中道は次のステージにいた。 真逆な性格の男の言葉。 自分のためにのみ時間を費やしてきた俺との違い。 中道「お袋さんと親父さんがどれだけ心配するかわかっちょんのか? お前、両親にちゃんと顔を突き合わせて報告したんか? してねーやろ」 それも図星だった。 母には整理の時に離婚の報告したが、親父にはしていなかった。 今回の原チャリ帰郷の旅の最終目的は、父に離婚の報告することだった。 母には「ちゃんと自分の口で報告したいので黙っておいてくれ!」とお願いしていた。 中道「まぁ、言い出したらきかん、お前の性格やけん、応援するけど。世界一周しながら、ちゃんと『家族』ちゅうもんが何か? 考え直してこい!」 京子「りゅうちゃん、がんばれ~。できるできる」 旧友たちは相変わらず心に響く言葉を残してくれた。
英語力ゼロの46歳バツイチおじさんが挑む「世界一周 花嫁探しの旅」

手前が中道、奥が後輩

英語力ゼロの46歳バツイチおじさんが挑む「世界一周 花嫁探しの旅」 京子さん

バスケ部の元マネージャー、京子ちゃん

翌日、GoogleMAPを頼りに原チャリで小倉から大分の実家を目指した。 俺は18歳で上京したので自分の故郷を大人になってからちゃんと見ていなかった。 キレイな街だった。 空気も景色も方言も心地いい。 あー、ここで俺は生まれ育ったんだな。 途中で食べた貝汁が美味しかった。 半日かけ両親のいる実家に戻った。 実家では母の手料理を食べ、数日を過ごした。 旧友に会ったり、いろいろ準備をしていると、世界への出発まであと2日となった。 なかなかタイミングが難しくて、まだ親父への離婚の報告はできずにいた。 親父は慶応大卒のインテリで元商社マン。囲碁3段。 親の言いつけで20代後半で大分に戻り、母と結婚し、俺たち兄弟を生み、残りの人生を注いだ。 本人はいまだに世界を飛び回った商社時代に未練があるようだった。数年前に胃癌の摘出手術をしてから残りの人生の楽しみ方について考え始めたようだ。 ただ、かなりわがままな人でものすごーーく面倒臭い。 俺の面倒臭さはこの遺伝子のせいである。 母や妹も父を煙たがっていた。 俺「お父さん、たまには二人で飲みに行かんかえ?」 生まれて初めて親父を飲みに誘った。二人っきりで飲むのは初めてだ。 父は喜んでOKしてくれた。そして近くの安い焼肉屋に行きたいと言った。 その店で二人は安い赤ワインを一本頼み、しばらく焼肉を食べ、ワインを空けた。 俺はさりげなく離婚の話を切り出した。 「お父さん、あんな、俺、離婚したんよ」 「おー、大輔に聞いたわい」 なんだ、弟が喋ってたのか……。 現実はドラマのようには行かない。そんなもんである。 「あんな、俺、世界一周に出るつもりなんや」 「……」 「一年くらいかけて」 父は目をひん剥いた。 「中東は行くんか?」 親父は国際情勢をニュースや新聞でチェックするのが好きだ。イスラム国過激 派のことを心配しているようだった。そして俺の性格も見抜いていた。 「行ければ行きたい。全く違う価値観の人たちの生活や考え方を見てみたい。でも安心して。俺もまだ、死にたくない」 親父は何も言わずワインを飲んだ。そして、 「隆一郎、カラオケに行こうや」 親父からの初めての誘い。 迷わずOKの返事をした。 二人でお年寄りが集まるカラオケ屋に行った。 そこには俺の知らなかった親父の顔があった。 なんと、我が家では煙たがられている親父は、地元のおじいちゃんやおばあちゃんにかなり人気があるのだ。 英語の歌を歌える70代は大分では珍しく、モテるらしい。 父「こいつ、俺の息子なんやけどこれから世界一周に出るんよ! すげーやろ」 父は俺を自慢した。 うれしかった。 親父は「隆一郎に捧げる」と言い、この曲を歌った。 『My Way』 俺の生まれた1969年にフランク・シナトラが歌った曲で、幼い頃、父の車でよく聞いた曲だった。 歌詞の内容は死期が近づいた男が誇りを持って自分の生きて来た道を語る内容だ。 英語が喋れないので歌詞の内容がなんとなくしかわからなかったが、後で調べたら、最後はこんな歌詞だった。 男として何をすればいいのか? 何を得ればよかったのか? 自分を偽れば、彼が本当に感じた事を言う事が出来なければ 祈りの言葉も口にすることはできないだろう 俺の人生の履歴は 俺が戦いながらも 自分の信ずるままに生きてきた証なんだ!  “Yes,it was my way” それこそが俺の道なんだ 父なりに考えてくれたセレクトだったと思う。 やるじゃん親父。意外と洒落てるじゃないか。 ありがとうお父さん。 記念に二人で写真を撮った。 英語力ゼロの46歳バツイチおじさんが挑む「世界一周 花嫁探しの旅」似ている。遺伝って恐ろしい。 これでやり残したことはない。 旅の準備はすべて終わった。 2015年10月21日(水曜日)世界への旅立ちの日。 大分空港に母は見送りに来てくれた。 そして「これ持って行きなさい」とミルクチョコレートをくれた。 1カ国目は韓国。果たしてそこに俺の未来の花嫁はいるのか……。 飛行機の中で母からもらったチョコレートを食べると、心地の良い甘さが口の中に広がり、少しだけ涙腺が緩んだ。 父ちゃん、母ちゃん、迷惑かけるけど 1年後に嫁さん連れて戻るけん、それまで元気でな。 体には気をつけて。じゃあ、行ってきます! 次号予告
「1か国目の韓国から事件が続発!? 果たしてバツイチおじさんは無事に入国することができるのか?」を乞うご期待!
1969年大分県生まれ。明治大学卒業後、IVSテレビ制作(株)のADとして日本テレビ「天才たけしの元気が出るテレビ!」の制作に参加。続いて「ザ!鉄腕!DASH!!」(日本テレビ)の立ち上げメンバーとなり、その後フリーのディレクターとして「ザ!世界仰天ニュース」(日本テレビ)「トリビアの泉」(フジテレビ)をチーフディレクターとして制作。2008年に映像制作会社「株式会社イマジネーション」を創設し、「マツケンサンバⅡ」のブレーン、「学べる!ニュースショー!」(テレビ朝日)「政治家と話そう」(Google)など数々の作品を手掛ける。離婚をきっかけにディレクターを休業し、世界一周に挑戦。その様子を「日刊SPA!」にて連載し人気を博した。現在は、映像制作だけでなく、YouTuber、ラジオ出演など、出演者としても多岐に渡り活動中。Youtubuチャンネル「Enjoy on the Earth 〜地球の遊び方〜」運営中
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