番外編その3:「負け逃げ」の研究(12)

 グリーンの羅紗(ラシャ)に顎を擦りつけるようにしてIさんが絞り起こしていたプレイヤー側1枚目は、セイピン(横のラインに4点が現れるカード)の9。

「おおっ」

 肚の底からの3人の吐息というかうめき声が、同時多発的に漏れる。

 残りの1枚が10ないし絵札であれば、崖っぷちに追い詰められたプレイヤー側が、バンカー側のナチュラル・エイトを捲くれる。

 そしてシュー・ボックスの中に、10ないし絵札は、13枚に4枚の割合で眠っているのである。

 「コンッ!」

 わたしが気合いを発する。

 絵札よ、出ろ、という意味だ。

 Iさんから借りたチップで、9万HKDを儲けさせてもらったお礼である。

「なんのなんの、ここはもう一丁セイピン」

 Iさんが、プレイヤー側2枚目のカードを絞り始めた。

 それは、トイチ・タイ・本線勝利という、みっつの可能性を秘めた「セイピン(=横ラインに4個のマークが現れるカード)」の方がいいのにきまっているけれど、そこまで欲張りであっていいものなのか。

 あらん限りの力を指先に籠め、プレイヤー側2枚目のカードを絞っているIさんが、顔を真っ赤にしたまま、ここでいったん鼻から息を抜いた。

「えっ、二段目も?」

 絵札ではなくて、脚がついたとしても、二段目のマークまで見えたのか?

 二段目が出てくれば、それはセイピン(=9か10)のカードである。

 Iさんが大きく頷く。

 ぎゃっ!

 もしかすると、このクーで、「マートイ」おまけに「タイ」の嫁さんまで引き連れた可能性が出てきた。

「マー」というのは「ダブル」という意味の広東語だ。

 こうなると、Iさんの本線だったプレイヤー側の10万HKDベットなんて、もうどうでもよろしい。というか、Iさんはタイにも2万HKDのベットをしていたのだから、配当も本線勝利よりよくなる。

「チョイヤァ~ッ!」

 である。

 飛んでけマーク。中央一点だけの9が現れよ。

 このクーは「見(ケン)」を決め込んでいた岸山さんも参加して、三人の大合唱だ。

「チョイヤア~~、チョイヤァ~、チョイヤ、チョイ」

 絞られているカードの角が、ぶるぶると震えていた。

 それでも、絞る。

 全身全霊を籠めて。

「もう、大丈夫。ダイヤでも抜けてる」

 詰めていた息を抜くと、Iさんがつぶやいた。

 スートゥ(=スペード・ハートなどのカードの種類のこと)がダイヤであれば、いわゆるマークの出現は「深い」。

 絞り方の角度によっては、「もう抜けた」と思っているマークが、突如現れてしまうことがある。

 Iさんが二枚目のカードをひっくり返した。

 ダイヤの9のカードが、勝負卓に張られたグリーンの羅紗(ラシャ)の上で、光り輝いていた。

 ぎゃっ、ぎゃっ、ぎゃっ、の3連発。

 プレイヤー側も9プラス9のナチュラル・エイト。

 持ち点8であるのだから、双方とも3枚目のカードは配られない。

 マートイのみならず、タイも完成していた。

 すべてのオリジナル・ベットは生きたまま、わたしには、1万HKDX11X2(トイチ分)プラス8万HKD(タイ分)イコール30万HKD(450万円)の配当。それも、ちょいと拝借したおカネで。

 Iさんへの配当は、ちょうどわたしのものの2倍だった。

 ハイタッチして喜び合う、という具合じゃなかった。

 Iさんなんか、精根尽き果てたという表情で、開かれたダイヤの9のカードを虚ろに眺めている。

 一手で900万円相当の勝利。

 もしかすると、Iさんの網膜には、何も映っていなかったのかもしれない。

 バカラ卓では、こういうことがたまに起きる。

 怖い。

 怖いのだが、なにものにも代え難く、楽しい。

 博奕より楽しいことがもしこの世に存在するとしたなら、是非、わたし宛てご一報願いたい。

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番外編その3:「負け逃げ」の研究(13)

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。