番外編その3:「負け逃げ」の研究(14)

 あと200万円。

 この2日間で間違いみたいに1000万円近く勝っているのだから、あと200万円程度を得るための打ち方は、それほど難しくないはずだ。

 一番簡単な方法は、ここぞという一手に14万HKD(210万円)を賭け、外したら、その倍・倍とベットしていけばよろしい。

 一手目が14万HKD、二手目が28万HKD、三手目が56万HKD。

 三手のみ限定のマーティンゲイル法である。

 勝ったら、そこで打ち止め。

 フィニート。目標達成、おめでとうございます、となる。

 ところが、負けているときはどうあれ、勝っているときというのは、一般にリスクを取りづらい。

 ここが不思議なところだった。

 Money to burn.

 燃やしてもいいカネを持っているはずなのに、手が縮こまる。

 なぜか、守りに回ってしまう傾向をもつ。

 一方、悪い状態のときには、リスクを冒す。

 瞬発で取り戻そうとし、大きく行く。

 これは社会心理学の領域で、「プロスペクト理論」として知られる現象だそうだ。

 利益を得る局面では、確実性を好み、損失している局面では、大胆な行動をとる。

 人間の心理の問題だけではなくて、この現象は脳化学(つまり、ケミカルの方)的にも説明できるらしい。

 浮いているときにはとてもベットできないような金額を、沈んでいれば、えいやあ、と行ってしまう。

 平たく申せば、やけくそベット。

 博奕(ばくち)勝利のためのセオリーとは、まるで逆な行動であろう。

 カジノでは、勝敗確率が約50%のゲームを戦っているはずなのに、勝つときは雀の涙、負けるときは大やけど、となる理由がここにある。

 それゆえ、ほとんどのカジノ愛好者たちの生涯トータルは、悲惨なものだ。

 またそれゆえ、カジノ資本は、おとぎの国のお城みたいなビルをどんどんと建ててられる。

 Money to burn.であるならば、そのカネを燃やすのだ。

 勝っている局面で、リスクを冒す。

 どかんと行く。

 一方、負けている局面では小心なベット。

 ただし、言うは易(やす)し、おこなうは難(かた)し。

 頭ではわかっているつもりでも、実践では「プロスペクト理論」に支配されてしまうことも多い。

 欲をもちつつ、確実性を求める。

 まったくの矛盾だ。

 これまで何回も述べてきたように、しかし、博奕(ばくち)の本質は、矛盾なのである。

 話を、Iさんや岸山さんと同席しているバカラ卓に戻そう。

 Iさんの快進撃に、ベットする方向ではまる乗りしていたのにもかかわらず、わたしのチップが溶けていく。

 駒の上げ下げが、まるで狂っていた。

 Iさんが厚いベットで勝利する際に、わたしのそれは薄い。

 逆に、Iさんが薄く行っているのに、わたしのベットは厚くて、その手を落とす。

 歯車が噛み合わないときなんて、こんなものだ。

「ローリング」

 わたしは声を張り上げ、壁際に控えるローリング娘を呼んだ。

 このシュー3回目のローリング(=キャッシュ・チップからノンネゴシアブル・チップへの交換)で、わたしに戻されたノンネゴシアブル(=ベット用)・チップは、7万HKD(105万円)ちょうど。

 駒の上げ下げで下手を打ち、わずかな時間に23万HKD(345万円)を溶かしてしまった。

 マートイ・タイで事故みたいにして得た30万HKDの残りかすである。

 こりゃ、あかん。

 バカ、アホ、間抜け。

「のちほど」

 Iさんと岸山さんに軽く会釈すると、7枚になってしまった1万HKDのノンネゴシアブル・チップを握りしめ、わたしはこのバカラ卓を立った。

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番外編その3:「負け逃げ」の研究(15)

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。