番外編その3:「負け逃げ」の研究(22)

 一般にマカオのハウスの電光掲示板で示されるケーセンは、6目(もく)の連勝で下に突き当たり、そこから右に折れた表示となる。

 英字アルファベット大文字の「L」に相似するので、俗に「L字」ケーセンなどと呼ばれていた。

「L字」ケーセンは、そんなに起こるものじゃない。

 マカオの大手ハウスでは、それでも平均すればワン・シュー(8デックで73クー前後)に1本か2本は起きるのではなかろうか。

 それがシューの最初から、いきなり起こるのか?

 シューの最初からだろうと途中からだろうと終盤にかかってからだろうと、実は同じである。

 ツラは、いきなり起こるものなのである。

 しかし打ち手側の心理としては、シューの最初からのツラには乗りづらいものだ。

 しかも、その一手の賭け金は、メルセデスのEクラス・カブリオレの新車が買えるほどの額である。

 考えている岸山さんの顔が、青から赤黒く変化した。

 長い逡巡を断ち切ると、岸山さんが叫んだ。

「レクサス!」

 プレイヤーを示す白枠内に、64万HKD(960万円)分のチップをドカンと叩きつけた。

 メルセデスEクラスじゃなくて、レクサスだった。

 まあ、この局面での「レクサス」の叫び声は、そのエンブレムが示す「L字」を意味したのだろうけれど。

「勝っても負けても、この一手で今回は終了です」

 と岸山さん。

 岸山さんの緊張が、隣席に坐りコーヒーを飲んでいるわたしにまで、ひしひしと伝わってきた。

 1000万円弱の大ベットだ。そりゃ、緊張するよ。

「ノー・モア・ベッツ」

 の声がディーラーから発せられ、もうあと戻りはできない。

 シュー・ボックスからカードが引き抜かれた。

 ディーラー前の所定の位置にいったん置かれたプレイヤー側の2枚のカードが、岸山さんのボックスに流されてきた。

 ディーラーは無言で、無表情のまま。

 こういった大賭金(おおだま)勝負となると、通常ラスヴェガスやオーストラリアのカジノなら、ディーラーが、

「チップス・イン・アクション(大きなベットがあります、という意味)」

 と声を出し、インスペクターやピット・ボスの注意を喚起するものだが、マカオの大手ハウスのプレミアム・フロアでは、それがない。

 なぜなら、1手1000万円程度の勝負など、フツ―にあるからである。

 流されてきた2枚のカードの上に両掌を載せると、岸山さんが呼吸を整えていた。

 肺いっぱいに空気を送り込むと、満身の力を込めて、シボリを開始する。

 一枚目が、リャンピンの4。

 二枚目にはすぐにフレームが現れて、これは絵札。

 4プラス10で、プレイヤー側の持ち点は4。

 プレイヤー側の最初の2枚で4という持ち点は、弱いのである。とても弱い。

 打ち手の感覚としては、数字的に低い0,1,2,3などより、ずっと弱い。

 大賭金ベットでこの持ち点。つらい展開だ。

 しかし岸山さんはその恐れを表情に表さない。

 プレイヤー側2枚のカードを手元で伏せたまま、

「ハウス、オープン」

 と静かに命じた。

 バンカー側のカードを開いてみなさい、という意味である。

 その挙措、お見事。

 立派だった。

 ディーラーがグリーンの羅紗(ラシャ)上に開いたのは、サンピンとリャンピンのカード。

 いわゆる、「不毛の組み合わせ」である。

 サンピン(6か7か8)とリャンピン(4か5)の組み合わせでは、持ち点は最悪でゼロ、最良で3となるので、そう呼ばれる。

(つづく)
※次回の更新は10/6(木)です

~カジノ語りの第一人者が、正しいカジノとの付き合い方を説く!~
新刊 森巣博ギャンブル叢書 第2弾『賭けるゆえに我あり』が好評発売中

賭けるゆえに我あり

PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。