第214回

5月18日「大作映画ゲームに思う」

・ゲーム版『スターウォーズ・エピソード3』(PS2)のサンプル版が届いた。いきなり映画のシーンから始まり、おおっと興奮して見入るとそれがすんなり操作可能なゲーム画面に移っていく。ライトセーバーやフォースを使いこなすプレイ感覚も、映画を見て感情移入している感覚の延長にちゃんと、ある。

・アメリカのゲーム界では大作映画、特にSFX映画のゲーム化が非常にスピーディーにスムーズに行われ、セールス的にも成功している。メジャー作品のゲームなら、100万本を超えるものはざらだ。

・ゲームメーカーはメジャーの映画スタジオと、各作品の企画段階からコラボレートし、データを共有することが多い。日本のメーカーにはそういう制作ノウハウは蓄積されなかった。

・なぜかと聞くと、だって日本で映画ゲームは売れないから、と言われるだろう。それはもしかしたら順序が逆で、こういうゲーム作りをしなかったからマーケットが出来なかったのかも。もう一度書く。確かにゲームは映画とは違う。しかし「ゲームは映画と違うから」という言葉のもとに日本のメーカーはさぼり過ぎていたような気がするのだ。

5月19日「ノベルゲームにしてほしい」

・『ライディング・ザ・ブレット』試写。スティーブン・キングが、交通事故で死にかけた後「小説の書き方をすっかり忘れてしまった」と言って苦しんでいた時期があった。その頃リハビリ(?)としてなんとか書きあげた短編を、薄めて引き延ばして99分の劇場用映画にしてしまったのがこの作品。ただしその薄め方には、なかなかのセンスがある。

・ヒッピー文化に傾倒している美学生が、危篤の母親がいる病院に向かって深夜ヒッチハイクする、という話。その過程で次々と遭遇する、死と隣り合わせの危機。あまりにギリギリすぎて、時には死者達とも出会い、対話してしまう。

・もちろんホラー仕立てだが、時代設定を1969年にしているところが映画版のポイント。おかげで、’60~’70年代のカルト・トリップムービーの趣が出ている。これはミック・ギャリス監督(’51年生まれ)の才によるものだが、キング(’47年生まれ)の意にも沿う方法論だったろう。長髪、汚いジーンズ、ヴェトナム戦争、ヨーコとひっついた頃のジョン、ウッドストック。あの頃の若者は確かに死に憧れていた。戦争や東洋思想やマリファナによって、死の世界との交流をも行ってもいた……ように、錯覚していた。

・しかしそういう体験は実は、ジェット・コースターにのってはしゃいでいるようなものに過ぎなかった、というメッセージが「”楽しむこと”と”死”は全く別」と、ずばっと言い切られていて痛快。

5月20日「やっと、ついに、そんな時代」

・ソニーから、20万円を切る家庭用ハイビジョンカメラ(『HDR-HC1』)が出るというリリース。松下からは、メモリーカード記録式で劇場映画クオリティー(1080 60i/30p/24p)の録画も行なえるハイビジョンカメラが70万円程度で出るらしい。

・フルデジタルムービーの可能性についてこのところ論じてきたが、それはメジャーのゲーム業界や映画業界だけの話ではない。作家性さえあれば、個人レベルの機材環境でも相当な映像が仕上げられる時代がやってくるのである。

・ハイビジョンの普及について重要なのは、これがネット配信から劇場公開まですべてのインフラに対応したマルチフォーマットだということ。個人と世界がシームレスになるわけだ。そしてカメラだけでなく編集機材も含め、この制作システムが1/10のサイズと価格になるのに10年かからなかった。さらに1/10になるのには数年あれば充分だろう。つまりハイビジョンはやがてケータイにまで搭載されるようになるってこと。

・そして数万円の端末=上映館も、ゲーム機という形で出てくるわけである。と、いう状況を前提に、ちょっと面白いプロジェクトを開始することに。まずはカメラ持ってまた山にこもります!

2006.02.06 |  第211回~

PROFILE

渡辺浩弐
渡辺浩弐
作家。小説のほかマンガ、アニメ、ゲームの原作を手がける。著作に『アンドロメディア』『プラトニックチェーン』『iKILL(ィキル)』等。ゲーム制作会社GTV代表取締役。早稲田大学講師。